甲州市勝沼
「ぶどう寺 大善寺」訪問記
8月25日、勝沼にある「ぶどう寺」へ行ってきました。
正式名称は柏尾山大善寺。1300年の歴史あるお寺です。
八王子より甲府に向け20号線を走り、笹子トンネルを抜け、
道の駅を少し下った所にあります。
道沿いなのですが、国道沿いで交通量が多く、
思いつきでは寄りづらい場所にあるお寺です。(笑)
今回は、その念願の「ぶどう寺」にやっと来ました。
まず入場券を購入。その時貰った駐車券で駐車場へ無事駐車。
ちょっとお寺のご紹介。
国宝
薬師堂(鎌倉時代)、厨子(南北朝時代)
国の重要文化財
薬師三尊(平安初期)、十二神将(鎌倉時代)、日光月光菩薩(鎌倉時代)
その他多数の文化財があるそうです。
この寺の名前にもある「ぶどう」に関係している薬師如来があります。
国指定の重要文化財である薬師如来像は「ぶどう」を手にしています。
普通は左手に薬を載せているのですが、この仏像はぶどうなのですね。
(ホームページより)
ね! 手の上にぶどうが載っているでしょう!
歴史のあるこのお寺には、大善寺伝説が語り継がれている。
書かれていた説明書きをご紹介します。
甲州ぶどう発祥の地 大善寺伝説
養老二年(718)僧行基が甲斐国を訪れたとき、かつ脱奈の柏尾に至り、日川の渓谷の大岩の上で修業していた所、満月の日、夢の中に、右手にブドウを 持った薬師如来が現れたと言われています。行基は、その夢を喜び、早速夢の中に現れたお姿と同じ薬師如来像を刻んで安置し寺を開山したのが、今の柏尾山大善寺であります。以来、行基は菜園を作って民衆を救い、法薬のブドウの作り方を村人に教えたので、この地にブドウが栽培されるようになり、これが甲州ブドウの始まりだと伝えられています。大善寺伝説は、仏教渡来とともに大陸から我が国にもたらされたブドウが、薬師信仰と結びついて、この地に伝えられたことを指すものとして理解されます。
山梨県教育委員会、甲州市教育委員会、JR鉄道文化財団
さあ、いよいよ見学です。
入ると直ぐ右側の階段上に山門が見えます。
江戸時代に再々建された物です。

山門の両脇には、阿吽像が鎮座しています。


ところで・・・
阿吽とは何を意味しているかちょっと不安なので調べてみました!
阿吽とは梵語(サンスクリット語)の「a-hum」の音写。
「阿」は口を開き「吽」は口を閉じて発する声の事で、そこから「呼気」と「吸気」 の意味となり、両者が息を合わせることを「阿吽の呼吸」と言うようになった。寺社の山門にある狛犬や仁王の口は一体が口を開き、一体は口を閉じて「阿吽」を表している。密教では「万物の根源」と「一切が帰着する知徳」の象徴とされている。これは梵語の悉曇(しったん)の字母表で、最初の韻が「阿(a)]、最後の韻が「吽(hum)」であることに由来する。(語源由来辞書)
山門脇に、柏尾坂の戦いと書かれた物がありました。

(画面右下のマークをクリックすると大きく見ることが出来ます)
この山門は、
近藤勇率いる新選組と新政府軍の戦いの場所でもあったようです。
歴史がいっぱい詰まっていますね!
山門を潜った左側にブドウ畑がありました。

どの房も食べ頃のようです。 流石ぶどう寺!
山門の先に階段が続きます。

この階段の両側にはアジサイの木がありました。
梅雨時にはアジサイの花が綺麗でしょうね!

階段の両側にアジサイと並んでヒノキの大木が植わっています。
何処までも伸びている姿は凛々しい。樹齢も長そうです。
胴回りの太いヒノキの皮で、薬師堂の屋根を葺いたそうです。
自給自足ですね(笑)
階段は、何段だったのか?
周りの景色に見とれていて、途中で数えるのを忘れていました
反省しながら登ると階段の最上段に楽屋堂。
楽屋堂

窓があり部屋があるようですが、楽屋堂とは何でしょうか?
楽屋堂をくぐると広い境内です。
国宝・薬師堂

柏山を背にどっしりと建っています。
本堂の中を外から失礼して写真を一枚。
本堂

本堂の中は撮影禁止なので内部写真はここまで。
中に入り、拝観ができます。
728年前に建てられた内部は、
とても凄く言葉では表すことが出来ません。
良く現在まで昔の姿のまま残ったものだと思います。
また、建築当時の職人たちの腕に感服です。
この本堂には、
平安初期に作られた薬師如来像が、国宝の厨子に納まっているようです。
「いるようです!」とは、
5年に一度の御開帳なのでお姿を拝むことは出来ませんでした。
次のご開帳は、平成30年10月。
健康で次のご開帳に是非期待ですね
実物は拝観できませんでしたが、閉じられた厨子の扉には、
薬師如来のお写真が貼られていました。
厨子の両サイドには、鎌倉時代の日光月光菩薩と
国の重要文化財である「十二神将立像」が並んでいます。
すばらしいお姿です。厨子の前にて、健康を祈りました。
この像について、説明書きがありましたのでご紹介します。
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明治38年4月4日に国重要文化財に指定
中尊薬師如来像 座高86.7㎝ 脇侍日光菩薩像 像高 102.6㎝
脇侍月光菩薩像 像高 101.8㎝
三体とも桜材の一本漆箔像で、密教風を加味した弘仁仏であり、特に中尊は頭部胴体とも奥行き極めて深く、両肩は肉付き豊かで下腹部が突出し、この緊満した姿態は一本造り特有の量感を示している。峻鋭な刀法は一段とその姿を引き締め厳粛の度を加えている。幅広い豊満な顔面、切れ長い眉目、鋭く刻まれ締まった口唇などに高邁な相好がうががえる。刀傷鮮やかな翻波式の衣文は形式化されず極めて自由な線を表し、平安初期の雄渾な洋風をしめしている。
両脇侍は中尊と同作であるが、天衣の衣文はやや規則的に翻波の刀法を反復し、股間にのびやかな渦巻皺法を施すなど、この期の特色を現している。いずれも台座光背は後補である。
山梨県教育委員会、甲州市教育委員会、JR鉄道文化財団。
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薬師堂の屋根

参道の階段脇にあったヒノキの皮で葺いた薬師堂の屋根。見事ですね。
境内右側に、お清めの水があります。
お清めの水

水の出口は龍の口です。

お清めの水の奥側にある鐘楼。
鐘楼
左奥には、行者堂があります。
行者堂

行者堂って?
役行者(えんのぎょうじゃ)を祭ったお堂のようですね。
百日紅と薬師堂

稚児堂と楽屋堂

楽屋堂とは
稚児堂は、当寺の大祭藤切りの祭の稚児舞の舞台として使用するもので、縁日の日には楽屋堂で音楽を奏で稚児堂で舞を舞い、参拝者を楽しませたと言われているそうです。(説明書きより)
楽屋堂の意味はこれで納得!
稚児堂の裏には、平たい石がありました。
宝珠石

この石は地中でマグマが石を抱き込みながら出来たものらしく、「子抱の石」として多くの方に幸せが訪れます様、石の形に作り上げました。どうぞお座りになってご利益を頂いて下さい。
…と書かれていました。
薬師堂に向かって左側に墓地があります。
そこにはいくつかの仏像と祠がありました。


ぼけよけ地蔵尊

ここは迷わずお参りしてきましたよ!
ぼけませんように! 

開運地蔵堂の脇よりブドウ畑の向こうに勝沼市街。

手前が国道20号線
ホッとする景色ですね。ず~と眺めていたくなります。
境内に戻り、楽屋堂に入って見ました。
入口で靴を脱ぎ上がると・・・

見てください。素敵な内部です。格子の窓から勝沼市街が見えます。
稚児堂の舞に合わせここで音楽を奏でるのですね。
此処にはテーブルや回転する椅子やソファーが置いてあり、
ゆっくり景色を眺めることが出来ます。
緑の木々の間を抜けてくる爽やかな風が心地良い。
部屋の中央には仏様がおられました。

喧騒を逃れ、仏様とのゆったりとした時間を堪能しました。
そろそろ帰ります。
楽屋堂の下をくぐり、階段を降ります。

灯篭の傍で、ユリの花が咲いていました。

先日のNHK・BS放送で
イギリスのガーデニングの事が放送されていました。
その中で、日本のヤマユリが始めてイギリスに紹介された時、
イギリス中の話題になったそうです。
イギリスで、その美しさが話題になったユリの花。
目の前にあるユリは、
ヤマユリではないが、灯篭の朱に綺麗に映えていました。
拝観券を購入した所には、売店や宿坊もありました。
売店の奥には広間があり
その広間から江戸時代初期の手法で造られた庭園が見られます。

この広間で、ワインの試飲や食事もできるようです。
先客がぶどうを賞味していました。美味しそうでしたよ!
即売しており、ここで食べる事も出来るし宅配も出来るようです。
お寺で宅配とは、流石にぶどう寺ですね。
美味しそうなぶどうに後ろ髪惹かれましたが、
次の目的地があるので・・・
残念!
平日のせいか、参拝者は私達のほかに2組だけ。
観光地化されていない分、本当にゆっくり楽しめました。
私としては楽屋堂がとても気に入りました。
念願のお寺拝観でしたが、
季節折々に来て見たい!と思えるお寺ですね。
写真の制限もあり、ご紹介しきれないことも多数あります。
ご興味あるかたは、大善寺ホームページをご覧ください。
仏像の写真もご覧いただけます。
次は、日本百名水・大滝湧水公園に続きます。
最後までお付き合い、有難うございました。
