こうやって時代は便利になって、MixiとかFacebookとかで昔よりずいぶんと友達が今どうしてるのかを知ることができるようになった。
早いペースで毎日が過ぎるこの時代にそういう目的で生まれたものなのだろう。確かにこういうサイトのいい所は、忙しい毎日で交流がとれなくてもお互いがどんな生活をしてるのかなんとなくでも知れるとこなのだと実感してきた。
ゆっくり座ってその人の事を考えながら手紙を書く時代もそれはそれでよかった。そのよさは数たくさんあるのだろうけど、私が好きなひとつは、今も引き出しの中を整理たびにでてくる昔の手紙。前にもらった手紙を読み返すという時間をすごすというのは、こういう「便利」になったサイトせいで失った情緒なのだと思う。
なにせ、私がアメリカに来たばかりの90年前半はまだファックスでの手紙のやり取りが最新の方法だったのだから。*ちなみに今はスカイプとかの登場で無料で母と電話ができるが、あの頃は月々2,3万は国際電話代を払っていた。
こういうサイトがあったら、極端な話同窓会なんていらなくなるのでは?と思ったりする。どうなってるんだろうか、どんな生活してるのだろうかとどきどき、はらはらしなくても、こういうサイトで同級生をつなげて話したら、みんなのスケージュール調整やら考えて、場所借りて、挙句の果てに昔振られた人にあって悲しくてなってなんて思いをしなくてすむのではないだろうか。なーんてドラマの見すぎ。現実には同級生と付き合ったこともないけど。
中、高、大学、あるいは私の場合15歳から25歳に出会って仲良くなった人って大人に(社会にでてから)なってからできた友達とは違う関係があるように思う。
その友人たちは、若い頃の恥ずかしい言動、経験、若気の至りの行動からの失敗、感動など大人になってから知り合った友達が知らないことを知ってる人たち。だから、どこまでいっても友なんだと思う。
が、この年ごろになってふと周りを見渡すと、良くも悪くもいろいろな意味で「違う」生活をしてるなと気づいた。これは思うよりもすごい事の気がする。
まったく違う毎日をすごしてるのは当然の事ながら、求めてるもの、欲してるもの、人生のゴールにしてるものもまったく異なっている。どこで何がどう違うとこんなに違う生活をしてることになるんだろうか。と不思議に思うほど、「違う」のである。
高校の時の私が今あの頃からの友人と海を越えた交流をしてるとは夢にも思わなかったし、っていうか、あの頃の私を知る人は今私がこんな風に大学院まででてキャリアウーマンをしてるなんて、天地がひっくり返っても思いつかなかったことだろうし。まぁそれは自分ですらびっくりだから。
友人の一人一人、それぞれがそう思ってるのかもしれない。でも同じ時を共有して、悩みを語り合ったり、夢を語り合ったりした友人がどれだけ違った悩みや、夢を今はもっていたとしても、様子がわかるのはやはりうれしいことだったりするから、こういうサイトがある時代にいる自分は幸運なのかもしれない。
そして、そこまで「違う」人生を送ってても、70歳とか終わりに近づいたときにまた交じり合えたらと思う。
早いペースで毎日が過ぎるこの時代にそういう目的で生まれたものなのだろう。確かにこういうサイトのいい所は、忙しい毎日で交流がとれなくてもお互いがどんな生活をしてるのかなんとなくでも知れるとこなのだと実感してきた。
ゆっくり座ってその人の事を考えながら手紙を書く時代もそれはそれでよかった。そのよさは数たくさんあるのだろうけど、私が好きなひとつは、今も引き出しの中を整理たびにでてくる昔の手紙。前にもらった手紙を読み返すという時間をすごすというのは、こういう「便利」になったサイトせいで失った情緒なのだと思う。
なにせ、私がアメリカに来たばかりの90年前半はまだファックスでの手紙のやり取りが最新の方法だったのだから。*ちなみに今はスカイプとかの登場で無料で母と電話ができるが、あの頃は月々2,3万は国際電話代を払っていた。
こういうサイトがあったら、極端な話同窓会なんていらなくなるのでは?と思ったりする。どうなってるんだろうか、どんな生活してるのだろうかとどきどき、はらはらしなくても、こういうサイトで同級生をつなげて話したら、みんなのスケージュール調整やら考えて、場所借りて、挙句の果てに昔振られた人にあって悲しくてなってなんて思いをしなくてすむのではないだろうか。なーんてドラマの見すぎ。現実には同級生と付き合ったこともないけど。
中、高、大学、あるいは私の場合15歳から25歳に出会って仲良くなった人って大人に(社会にでてから)なってからできた友達とは違う関係があるように思う。
その友人たちは、若い頃の恥ずかしい言動、経験、若気の至りの行動からの失敗、感動など大人になってから知り合った友達が知らないことを知ってる人たち。だから、どこまでいっても友なんだと思う。
が、この年ごろになってふと周りを見渡すと、良くも悪くもいろいろな意味で「違う」生活をしてるなと気づいた。これは思うよりもすごい事の気がする。
まったく違う毎日をすごしてるのは当然の事ながら、求めてるもの、欲してるもの、人生のゴールにしてるものもまったく異なっている。どこで何がどう違うとこんなに違う生活をしてることになるんだろうか。と不思議に思うほど、「違う」のである。
高校の時の私が今あの頃からの友人と海を越えた交流をしてるとは夢にも思わなかったし、っていうか、あの頃の私を知る人は今私がこんな風に大学院まででてキャリアウーマンをしてるなんて、天地がひっくり返っても思いつかなかったことだろうし。まぁそれは自分ですらびっくりだから。
友人の一人一人、それぞれがそう思ってるのかもしれない。でも同じ時を共有して、悩みを語り合ったり、夢を語り合ったりした友人がどれだけ違った悩みや、夢を今はもっていたとしても、様子がわかるのはやはりうれしいことだったりするから、こういうサイトがある時代にいる自分は幸運なのかもしれない。
そして、そこまで「違う」人生を送ってても、70歳とか終わりに近づいたときにまた交じり合えたらと思う。