『死ね』が口ぐせの先輩がいた
乱暴な口調だが、
相手を思いやる気づかいがあった
デザイン仕事の仲間だったが、
丁寧に仕上げる仕事ぶりは
プロの流儀、しかし、
根っからの正直者、
駆け引き上手のクライアントの
質問にホイホイ何でも答える
人柄のよさがあった

もたもたしていると、
『はよ死ね』、
くだらないことを言ってると
『もう死ね』
と、絶えずつぶやくも
ぶっきらぼうのなかにも
コミュニケーションの素直な
感情の表出だと、今になって思う

『死ね』の意味は
『さっさと切り上げろ』、
『いつまでもこだわるな』なのだが、
その先輩の机回りは
いつも整理され、
いらぬものはすぐゴミ箱に捨てられ、不要案件と知るや速攻で
殺処分するかのようだった

終業時間になると、いつも
行きつけの呑み屋の定席に坐る
私が遅れて行き、仕事の不平不満を
くどくどまくしたてると、
返事は返さず、
『今日のマグロはうまいのぅ』
と常に会話は今の目
前のこと、
これも、お前のうわ言なんか
興味ない、という風なのだ


兄弟が面倒を見ないので、
寝たきりのご母堂を
百歳で逝くまで、
先輩本人が介護した
そのストレスからか、
朝からウィスキーを
ストレートで煽り、
胃に穴が開いての、
出血死だった

すべてに『死ね』と言った
先輩だったが
自分に矛先が向けられたのか、
しばらくして、
ご母堂も逝かれた

親を看取ることができず、
親より先に逝く…
先輩の晩年は家族も持たず、
介護一筋…
仕事は在宅でされ余裕だったが
突然の訃報に多くの人が
言葉を失った


が、翻って
私は面倒見のいい先輩から
何を学んだのだろう
何をもらって、何を返したのだろう


私の引っ越しのときに
冷蔵庫を背負って階段を
登って手伝ってくれた姿を思いだす
その姿は
気は優しくて力持ち、
という言葉を彷彿とさせ、
無理な仕事が来ても
『こんなん出来るか、ボケ』
と突っぱねるも、
期日までに仕上げる、
黙って『これ』と手渡す
不言実行、ハラの人だった

と、私が感じるのは、
頼れる兄貴として単に
先輩に寄りかかっていた
だけではないか
親代りとしての庇護者として
見ていたのではないか

ふと、あの世に行った先輩に
手紙を書こうと、思った


✋✋✋✋

先輩
お元気ですか
もう、いつ逝かれたかも忘れました
下界から失礼します
私は相変わらず、
頭が忙しい毎日です
また、頑固頑迷に
押し通すエネルギーに
以前は酒でまぎらせていましたが、
いまではパソコン、ラジオ、坐禅で
まぎらせています
先輩に言ってたのときと
同じ思考感情があります
仕事は終わっているのに、
ああだ、こうだ、と
「とりもち」のように
べったり引きずっているアレです
先輩なら、
『死ね』と一刀両断するでしょうね
あるいは、学生時代にされていた
弓道のように、
私を射る冷徹な眼差しを
思い出します
この膠着状態の思考に
『死ね』と言ってください
思えば、先輩は生きながらの
ブッダでした
自他区別なく、思いやり、罵倒し、
自他の我欲に『死ね』
と言う人でした
もっとも先輩はそちらでは
『生きろ、もっと生きろ』と
言われているのかも知れません
甚だ取りとめない便りになりました
これにて失礼します


👍👍👍👍


どういう訳か、
映画『帰らざる日々』を
見たくなり、プライムビデオで見た
『八月の濡れた砂』と同じく、
藤田敏八監督の青春映画だが、
時代と運命と
魂のエネルギーのほとばしりを
感じさせる名作だ

bye bye byeと歌う…
谷村新司の『帰らざる日々』は
ホンマに素晴らしい🎶


https://youtu.be/TtF2trMjYbc?si=2YOUNlyLJrJnKiZx