昨年末から今年正月にかけて、
永山則夫の「無知の涙」や
「人民をわすれたカナリアたち」を
読みました。
永山則夫という人は
ピストル連続射殺魔』として
知られる人です。

獄中、勉強し、
「貧困のせいで」
「親のせいで」殺人を犯したという
考えに至った人です。

また、獄中で人生を振り返り、
半生を小説にして出版、
その印税を遺族の償いに
充てたと言います。

上記二冊は、
小説を書くきっかけとなった
獄中ノートで、
詩、歌詞、随筆などランダムに書かれ、すごく繊細な人と感じられます。
ユーチューブの、
永山を精神鑑定した医師の
ドキュメンタリーにアップされた
永山の肉声を聞いても、
その繊細さ、
傷つきやすさが伝わります。

では、なぜ私がこれを
読む気になったのかと言うと、
1968年〜1969年という、
世界的な学生運動、
差別撤廃運動、
平和活動、
ロック音楽、
ヌーベルバーグ、
アングラ演劇などなど、
新しい価値観に移行する
転換期を共に生き、
今一度、自分自身の人生を
振り返ってみたいと思ったからです。

当初、この二冊が図書館になかったので、評論から読みました。

「永山は逮捕後まもなくして、ノートの中では自由に自分の気持ちを表現できるようになったが、裁判という実際の行為の現場では、無口な少年のままであった。つまり、文章をノートに書くということ、それを「言葉」という社会的道具として使いこなすということは別のことなのである。その言動から判断すると、永山のこの両者の使用過程には明らかに時間的ずれが見られる。
永山は、最初に書く言葉としての「言葉」を獲得し、その後に表現の道具として「言葉」を使っている。しかし、これは通常の子供の言葉の獲得過程とは逆である。普通の子供の発達では、まず話し言葉を覚え、その後に道具としての文字を覚えるのに、永山はその逆をやっている。
なぜそうなったのか。永山の幼少期の対人関係の形成過程にヒントがある」
出典 薬師寺幸二
「永山則夫 聞こえなかった言葉」
2006年 日本評論社 

この「言葉」という言葉に
私は反応し、
果たして自分は
コミュニケーションする言葉を
持っているのだろうか?
と思ったのです。
それでも、
永山本を読んだ感想を
かつて同人誌を共に出した友人に
こう送っています、

『いま、永山則夫の無知の涙、
文庫版527ページ読みました。
巷間、伝えられる永山像とは違い、
何と知性的な、
何と文学的な、
そして何と哲学的な!
が印象です。
 
拘置所で知りあった学生から刺激され、
マルクスの資本論を読破し、
カラマーゾフのラスコーリニコフに
自分自身を重ね、
フロイトやキルケゴール、カント
などなど、多数の文人が登場します。
フォイエルバッハが出たときは、
僕は「歴史における個人の役割」を
想起しました。
 
石川啄木は以前から好きだった
歌人みたいで、前半、
多数本人の絶唱が出てきます。

いや、驚きました。』

永山の文章力、というより
『言葉』の氾濫に圧倒されました。

しかし、それでも自身の救いにはなず、
むしろさらに言葉への渇望となり、
乳児が母親に乳を求めても、
それが得られない、
絶えず満たされない感情
伝わって来るのです。

ウッドストックの合言葉は
『ラブ&ピース』でしたが、
永山則夫はその対極を生き、
彼自身の魂の救済の叫びが遠く、
50年前から聞こえてきそうです。




ウッドストック、ジミ・ヘンドリックス

ジャン=リュック・ゴダール『中国女』

状況劇場