10月3日(水)、松屋町蕎麦処イヴォンヌで禅タロット&数秘鑑定します。「秋空こころ占い」14〜20時。20分2000円
 直接来られてもOKです。

さて、何ゆえ禅タロットなのか。
その前に私のザクっとした
私の遍歴を述べましょう。

私は1989年にOSHOと出会い、
スワミ パリトッシュ マニッシュ(知性)
という名をもらいました。
それ以前、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の名は知ってましたが、
「バグワン、毒をもられる」とかの表題のニューズレターを見るにつけ、
インド行をビビっていたのでした。
ところが、サガプリヤやワドゥダ(リーラ)などのグループを受け、
「これは間違いない」と確信を得ました。

で、1989年年末に、プーナに旅だったのです。しかし、サニヤスを受けた20日後にOSHOが肉体を離れたのでした。
まだ、もっとOSHOのことを知りたい、と思っていた矢先、このショックは大きく、今も講話を紹介するなどに駆り立てられています。

テイクのとき、イニシエーション役のザリーンの元にエスコートしてくれたのがギータ(古いサニヤシン)で、名前をもらってから、
ギータが私の胸に手を当て、
「マニッシュの知性はハートの知性だからね」
と言ったことをよく覚えています。
頭の片隅では、もう一人のイニシエーション役のアビルババに当たるとイイな、と思っていましたが。当時、アビルババはカリスマ性のある魅力的な弟子でした。

また、1990年代半、禅タロットが登場したとき、綾部であったサガプリヤのグループの休み時間に、3回引いたら、3回とも「マインド」が出た!というのが、今に至るキッカケのひとつです。いかに、頭デッカチだったかという証左です。

占い好きの人には、三度のご飯より、「心配が好き」という人が結構いて、考え過ぎ、取り越し苦労をいつもします。私も同類です。

そういうこともあり、95年過ぎからマンガラの個人セッションを何度も受け、その切れ味するどいリーディングに毎回、うなってました。
ただ、これもマインド(思考)で向き合っていた感があり、意味の追求、価値の証明、好き嫌いなど、思考、感情の表層レベルにとどまり、ハートに至る道へ歩み出すのは
もっと後のこととなりました。

あらゆるグループを受けたい、
OSHOの近くにいた弟子に会いたい、
覚者に会いたい、
真理を極めたい、
滝行、武道の求道者でありたい、
等々、当時は無意識に
そのように思考していました。

ハートから自分の本質につながり、
くつろぎ、安らぎ、信頼、
慈愛、活き活きさ、自由、
自信、満たされること、
(ミドルのパリトッシュは「満足」)
などなど、ハート理解の次元が
展開しつつあります。

ちなみにテイクから10年後、
セドナで、あのアビルババに会いました。
以前のカリスマ性が抜け、
愛情深い、普通のおばさん風に見えました。

禅タロットに
「普通であること」
というカードがあります。
これはまさに禅の極みで、
アビルババにその普通さに
美しさを感じました。

若い頃は、ドラマティックな人生を
夢想します。
しかし何らかの理解があると、
花が咲くだけで、
天気がいいだけで、
普通さ、平凡さに喜びを見出します。
日々是好日です。

だから、禅タロットなのです。


※写真は憧れのアビルババに会って、
ぬか喜びのマニッシュの人格。