生きづらさに気づきにくかったわけ④ | 生きづらさからの開放〜パラレルキャリアへの道〜

生きづらさからの開放〜パラレルキャリアへの道〜

アラフォーママ♪2歳の1人娘を育てています。

生きづらさを抱えていた7年前、自ら起業家さんに会いにいき、とことん自己改革!徐々に生きづらさから開放されていきました。その後の変化を綴っています。

社会人3年目の秋。幼稚園では12月にお遊戯会がありました。その年は上司との関係も上手くいっておらず、また見通しが立ててるとは言えない仕事をしていたため、一年で1番大変とも言えるイベントに私はものすごいプレッシャーを抱えていました。思い返すと本当に情けなくて、恥ずかしいのですが、真実が伝わらないと意味がないのかなと思って書きます。


私は若さゆえ、というか幼すぎたため、親に泣きつきました。仕事を辞めたい。もう無理だと。


確かにその職場は勤めている職員からの評判は良くなく、長く勤める価値がある場所とは思えませんでした。私自身も頭の中がグチャグチャになり、こんな職場にいても仕方ない、、、辞めたい辞めたい、逃げ出したい!!モードになってしまっていたんです。自分のことを見つめ直しもせずに‥‥‥。


そして、私は親と一緒に辞めたいと伝えにいきました。いい大人なのに、、、、全然自立出来ておらず、親に最終判断を求めてしまったんです。。。


今思えば恥ずかしすぎます。情けなさすぎます。どーしようもないです。(本当は書きたくないレベル💦)もうその時は自分のしたい仕事なのかも分からなくなっていたし、鬱&パニック状態でどうにもならなかったのです。仕事を辞めるとなってからも頭が乖離しているかのような状態。自分の中の不安が隠しきれず、現実逃避し、毎日目を背けたくなるような景色を見ながら退職日を過ごしました。そして、今度は無職な状態というのが不安過ぎて耐えられず、、、他園のパートにすぐ付くことに。


結局、大変なイベントから逃げたかっただけで、自分の中の不安はまったく消えず。主体性ではなく、常に他人軸で生きていたため、人からの評価も捨てきれていなかったのです。(このときはそれにも気づいておらず。)自分自身にまったく安心出来ていなかったんでしょうね。常に何かに追われるように自分をまた律して働らかなきゃ‥‥‥と思っていました。


長年の生きづらさがあってか、脳が麻痺していたのかなぁ。誰か助けて。でも誰も助けてはくれない。そう思って生きていました😭😭😭😭


続く。