生きづらさに気づきにくかったわけ② | 生きづらさからの開放〜パラレルキャリアへの道〜

生きづらさからの開放〜パラレルキャリアへの道〜

アラフォーママ♪2歳の1人娘を育てています。

生きづらさを抱えていた7年前、自ら起業家さんに会いにいき、とことん自己改革!徐々に生きづらさから開放されていきました。その後の変化を綴っています。

①の続きです。


不本意?!というかただの自分の弱さから推薦で入学出来た大学。心は決して晴れ晴れはしてませんでした。でも雲がかかっていたのは高校生の時からだったので、またそれを蓋するかのように私は絵に描いたような大学生活を夢見て、大学前に来たテニスのサークル勧誘を受け、同じ学部の子ととりあず、サークルに入会。しかし、何せ運動音痴なもので、テニスが下手笑い泣きえーん笑い泣き一応は参加していたけれども、全然楽しめず。夏の合宿までは何とか参加したものの、海も大して楽しくなく、お酒でその場をなんとかしのぎました。良き縁にも恵まれずテニスサークルが嫌になり、脱会。親には高い学費を払ってもらっているという負い目?!と真面目さがどーしても抜けきれずに、大学を辞めることは出来ず、出席しながら、その学部で取れる資格はすべて取り充実したとは言えないものの、複数のバイトを経験しながら、4年間が過ぎていきました。今、思えば卒業式の写真は造り笑顔だし、晴れ晴れした気持ちはなかったです。ただ、唯一恵まれたと言えるのは人間関係です。大学時代も人とちょっとズレていたはずの私ですが、育ちの良い人が多い大学だったため、こんな私でも完全にハブられるということはなく、今でも連絡を取り合うグループライン(6人)もあるし、卒業した後、私は地元に戻るのですが、そこで同じ大学出身の親友とも呼べる2人の同級生と深い交友関係が築かれていくことになったのです。あんなに行くのが嫌だと思った大学、、、泣いて喚いたこともある大学。でもそこで出逢えた友人がその後、私の心の支えとなっていったのです。


続く‥‥‥。