美容師になる  | ギザギザBANGS
中学三年生の時だった。
「髪を扱う仕事がしたい。」そう思ったのは。
床屋さんが理容室で、女の人が行くところが美容室。
まだそれくらいの認識だった。

小学校までは母親に切ってもらうことが多く、
中学二年生くらいから自分で切るようになった髪。
中学一年生の頃、床屋で切った髪がいつもイヤだったからだ。
 
毎日毎日ヘアスタイルを変えた。
学校に行く前も、学校から帰ってからも・・
ドライヤーは当たり前、
スチーム式のコテやスタイリング剤を使いこなしてた。

服の組み合わせもこだわって、
いつも不思議がられてた・・
いつもファッション誌を見てきめてる友達は、
格好悪く見えてた。
自分の思うまま、工作をするように組み合わせたファッション、
そしてヘアスタイル。

楽しかったぁ~。

美容学校に通って、美容室に就職して、
ただ仕事としてこなしていた頃もある。

サロンに初めて立ってから5年目を迎えた頃、23歳。

美容師の仕事が楽しくなった。
荒れてボロボロになった手も、みるみるうちに治った。

そして3年が過ぎて、
美容師が美容師の仕事を楽しめる環境が作りたくてサロンを立ちあげた。

まず一番大切なのは、喰えること。
そして、美容師としての生き方を貫けること。

そして10年。

ひとつの映像に心動かされた。
サロンワーカーではなく、ヘアメイクさんの仕事。

もう何年前になるだろう?
ヘアメイクには興味のなかった僕に、
ガツンときたヘアスタイルを見せてくれた人。

「加茂克也」氏
コムデギャルソンやアンダーカバーのコレクションを手がける、
世界を代表するヘアデザイナー。
彼の特集の映像。

ショックで涙がでそうでした。
あまりにも真っ直ぐで、シンプルで純粋で・・

分かっていたはずなのに・・
レベルの違いに心うたれた。

かわいく、きれいに、格好よく!
本来やるべき仕事。
目の前にいるその女性を引き立てること。

最後の最後まで、可能性がある限り最善を求めてあきらめない。

身近にいた一人の人物が思い浮かぶ。
「梅原寿」通称ウメさん。
共に10年仕事をした同士。
彼のあきらめない姿勢は、他に見ることはない。

なんで美容師になったんだろう。
14歳のあの頃から23年。
忘れてはいけないあの日の感覚。
この仕事ができて食べていければいい。
この感覚は、きっと毎日を充実した日常へと変えるであろう。


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