映画「マトリックス」を観る。


公開当時に観た以来だろうか

あの時は意味ぷーだった


けれど、改めて観るとマトリックスの世界が手に取るように理解出来た、監督や脚本家などの意見と同一かどうかは分からないが恐らく同一であろう。


全ての物理空間は情報空間の一部にしか過ぎない、あなたがこれを読んでいるスマートフォン、これはスマートフォンだと理解しているはずである、だからこそスマートフォンの機能を堪能出来る、スマートフォンという物自体は物理空間に存在する


しかし、その機能、使い方、感じ方は情報空間に存在するのだ、アマゾン奥地の現代文明における恩恵を何一つ受けていない部族にそのスマートフォンを渡してみる


その部族はスマートフォンを見てどう思うだろうか?


「変わった石だな」「狩に使えるかな?」などと思うであろう、彼等の情報空間での使い途しか分からないからだ


当然、電話もなければテレビもない、電気すら通っていない、それどころか電気という存在すら分からない


その彼等が「その彼等がこれは通信道具」だと理解する為にはかなりの量の情報が必要である


よって物理空間は情報空間の一部であり、物理空間は情報空間により支配されるのである


料理をするのも情報であり、それを食し美味しいと感じるのも情報である


その情報とは全てが過去の記憶で成り立つ


スマートフォンの歴史があるからこそ現在では子供からお年寄りまで使い熟すことが出来るのだ


その情報がなければゴミでしかない


石油が初めて発掘された時は単なる泥水だと思ったであろう、しかしそれが色々なものに生まれ変わる資源だと理解出来た瞬間から石油は単なる泥水から宝水へと変わった


これを読んでいるあなたは物理世界から情報世界へと抽象度が上がっているはずである


言葉を変えれば「変性意識状態」である


物理世界であなたは椅子に座りながらスマートフォンを片手にこれを読んでいる


しかし、この私の世界へと入り込むとどうなるだろうか?


スマートフォンを片手に持っている感覚などは感じないはずである、椅子と接地しているお尻りの感覚さえもないはずである


そう言われて初めてスマートフォンを持つ手の感覚、椅子と接地しているお尻の感覚に意識が行くであろう


しかし、またその瞬間に私の世界から離れてしまう、そしてこの言葉を聞いてまた私の世界へと入っていくであろう


人間は常に変性意識状態である、トランス状態と言えば分かり易いだろうか


重要だと思う世界へ人間は行くことが出来るのである、それが有意識状態なのか無意識状態なのかは分からない


私もこの文を書いている時は指の動き、指の感覚、スマートフォンを持つ手などを意識することはない、変性意識状態で書き上げている


文字を入力するフリック作業は長年スマートフォンを持つ私にとっては無意識な作業ではあるが


さて、話を本題へと進める、本題といっても僅かな文で済むであろう


全ては情報空間であることは理解出来ただろうか?


では、その情報空間は一体誰のものであろう?誰が操作している?


それは、あなたである。


あなたの情報空間はあなただけのものである


だから私のこの書いている文章は私の情報空間の一部にしか過ぎず、あなたには理解出来ないかもしれない


しかし、あなたが過去に経験した記憶を使うと私の世界が見えてくるばずだ


何も私はその空間であなたをどうこうするつもりなどない


ただ一つ気づいて欲しいのだ

否、気付くべきなのだ


私はよく「イマジネーションの限界が己の限界である」という


あなたのイマジネーションはあなただけのもの

あなたが限界だと感じるから限界なのである


「出来る」「出来ない」という選択は存在しない

「やる」「やらない」の選択でしかない


「出来ない」とは「不可能」である


禁煙が出来ない=禁煙は不可能


でないことは理解出来るであろう


あなたが「出来ない」という選択をした時は「不可能」ではなく「やらない」である


もちろん「やる」「やらない」は自由である


しかし、「出来ない」という選択は「ない」ということを理解して欲しい


私の書いているこの文章をここまで読んでくれたことに感謝します


「こいつ変わっている」と思ったかもしれません

私にとっては褒め言葉ですがね 笑