こんにちは
心と身体の自由研究家
数秘カウンセラーの
cocoです

早4月も下旬、
GWも目の前となり、
平成の終わりと
令和のはじまりが
すぐそこです。
勝手なイメージですが、
なんだか黄色っぽい平成から
クールなブルー?な令和へと
変わるということで、
また更に時代は変わるんだろうなぁ。
今の子どもたちが大人になる時って
今とはある種全く違うんだろうなぁ。
と、なんとなく想像しています。
世界で日本人だけが、
新たな時代の始まりを感じ、
未来を想像する。
元号がいらないのでは?と
いう意見もみましたが、
個人的にはややこしい時も含めて
なんだか面白いと感じています
さてさて、
たっまーに更新の、、、
更に役立たない記事なんですが、
書こう!と思ったのは、
シーズンラストの
いちごさんが美しくて
なんかわからんけど、
めっちゃうつくしぃ〜〜

乾燥気味な手がお恥ずかしいですが
1つ持っていろんな角度から
眺めて
うっとり。
うっとり。ホントはパクっとつまみ食い
しようと冷蔵庫から出したのですが、
いや、、、これは
器いるわ。
と器へ。
撮影技術がなさ過ぎて、
どんな美人でも撮りゃいいって
もんでないことがよくわかりました

あぁ、もう少しシーズンが
長ければなあー、、、と眺めながら
つぶやいてしまうのは、、、
息子の園行事のいちご狩りに
行かせてあげられないこと、、、
小難しいことは、あっという間に
流れていく私の頭ですから、
詳細は忘れましたが←いいのか?
農薬使いまくる日本の農業に
加えて、いちごの栽培時に使う
農薬は中でも多いと読んだことが
あります。
(何度農薬を散布したか、他に比べ
それがどれだけ多いかなどは
ネットで調べたらすぐあるはず
)
)あの赤さや美しい形などを
維持するのは難しいのですね
うちに来てくれた
このいちごさんはいつも購入している、
山本自然食品店さん経由のいちご
なので農薬や土壌の状態に敏感な子達
にも大丈夫なものですが、
スーパーに普通に売られているもの、
いちご狩りにあるものは
たぶんやばい。。。
そして、食いしん坊な私でさえ
あえてそれでも食べたいとは
思わないし、
お正月に外で付き合いで1つ
食べましたが、
お世辞にも美味しいとは
感じず、、、
(主人はいちごアレルギーで
質が良くても食べたがらない。
食べたら大丈夫かもしれませんが)
いろいろ踏まえて、
敏感な息子にはあげられない





そりゃ息子が大きくなれば
自己判断に任せますが、
普段極力気をつけていて、
急に大量に食べたら、、、
私は責任持てない
↓
それは園だって困るだろう。
ということで辞めました
このいちごがあれば、
持たせていけばらいけるかな?!
(収穫したらいちごはどーする?!)
など考えましたが残念ながら
今週がラスト。
みんなと摘み取って楽しく食べる
経験もさせてあげたかったですが
まぁ仕方がない。
なんせ、何があるかわからない
ま、その為に昨年富山の無農薬の
いちご狩りに行っておいたので、
息子がとにかく行きたいというので
あれば6月あたりに一緒に
行こうと思います。
経験は大事ですし、
選択肢があることを常に実感して
欲しいですし
息子はというと、
まだよくわからない様で
説明すると、ふーん
という
感じでした。
食べ物を良い悪いという意識で
見たり、
いろんな薬に異様に敏感に
避けて神経ピリピリする、
というより、
いつも、
何故食べ物がそうなったのか?
何故薬がいるのか?
そうなった意識はどこからくる?
なら、自分はどんな意識で選ぶ?
というところに興味があります。
最近、ビーガンの方々のyoutubeを
見てみると、
コメント欄には菜食、肉食共に
極端、過激な言葉を見かけますし、
中には親が菜食で学校でも
弁当で辛かったというコメントも
見かけました。
私は動物性を普通に食べますが
(たぶん取り過ぎている
最近は肉が食べたい!というより
刺激が欲しいのかなぁーと
観察中です。)
息子には与えていません。
現時点では。
それは肉が悪!とか
身体に悪い!ではなく、
息子自身の身体は
妊娠中の私の影響を受けて、
動物性を取り過ぎた症状が
出ていたことと、
腸内の状態がまだ成熟してないと
日々観察して思うからです。
大きくなってきたらば
質を選んで食べればいいのでは?と
考えています。
そして、
きっと高校まで弁当になると
思います
その理由は、学校給食のやむを得ない
食材事情から加工品が多かったり、
うちでは選択しない調味料、
更に多国籍献立だから、、、
などです。
しかしながら、
私自身は給食を食べてきていましたし、
楽しみで大好きでした
みんなと一緒に同じものを食べる
喜びも味わいました。
息子だって、
いつかはそう思う日がくるでしょう。
なぜ、みんなと違うの?
どうして自分だけ違うの?
みんなとおんなじがいい。
そう思い、訴える日が
くるでしょう。
この問いは、不思議ですが
私がいつも自分と周りとの
違いに感じていたことです。
みんなと 心?が違っていることに
いつもつらいと思っていました。
ひっくり返せばみんな
それぞれ思っているのでしょうが
今も、いわゆる、
みんな
とは全く違う私ですが、
ときどきつらくもあり、
しかし大体は納得して楽しく
しています。
何故かって
おんなじなんてない
違って当たり前
みんなとおんなじは無理っぽいな
って思っているから??
ま、それはあくまで私の話ですから
学校に行くのは息子だし、
息子がどうしていくか何を選ぶのか
その選択肢を普段の生活の中で
当たり前に伝えていきたいと
思います。
伝える、と言えば
それは車椅子専用駐車場を
見つけた息子に説明する時も
点字もある絵本を読む時も、
息子の質問に答えつつ
意識的に伝えています。
違う、できないとかじゃなく、
生きるってさまざまと。
これじゃなきゃだめ!
こうなの!
ではなくて
こんな理由でこうしている。
そもそも何故そうなったか。
その上で
さぁ、君は何を選ぶ?
と問いかけられる様に。
自由とは、ほんのこつ責任の上に
あるもんです




