こんにちは
心と身体の自由研究家
数秘カウンセラーの
cocoです
facebookでこんな記事を
読みました↓↓↓
あ、↑タイトルは違いますよ。
わざわざそこまで読む時間が
ない方もいらっしゃいますから、
要約すると、
迷子で泣いていた子どもを
助けたある男性。
男性は遅刻しそう?してて?
大変急いでましたが、
自身も迷子になった経験が
あるのでその子どもを
見逃せず、話を聞いて
サービスカウンターへ。
母親がすぐに見つかり、
よくあるあるで迷子に
なってしまい、母親も
必死になって探していた様子。
無事に引き渡せてホッと
するも、男性は状況から
子どもが30分も一人で
泣いていたことに気づきます。
その子は、動き回らずに
ポールの前で泣いていたそう。
小さな子どもが、
迷子になって泣いている心情は
大変なものです。
都会で、大勢の人が行き交う
中だというのに、
男性以外に誰も
声をかけなかった。
この人々の心?に
男性はゾッとしています。
大丈夫なの?って。
話はそこで終わりです
私はこれを読み思いました。
いや、大丈夫じゃないよ?
恐らくこれから、より、
世の中はそうなっていきます。
極端に。
(つまり気づく人と
気づかない人の二極化)
なぜ、隣の家の晩御飯まで
知っているくらいつながりが
深かった日本人たちが
こんなにも無関心というか、
無機質というか、
あたたかさがなくなったのか。
それはもう、戦後から
日本人が元気がなくなるように、
心をなくすように、
国や地域や人や自分を
愛さないように、
教育も
食生活も、
地域の活動も、
出産の場までも、
根幹からひっくり返されたから
だというのは、
私が今まで生きていて、
ときどき勇気ある大人たちが
発言してくれたことで
知る機会がありました。
※右翼とか関係なく。
なぜ、私は日本人を情けないと
思うのか。
なぜ、自分の国に対して
こんなにも愛国心がないのか。
なぜ、白人の生活が良くて
日本人の古来の生活がださく
思うのか。
なぜ、
なぜ、
なぜ?
かく言う私も高校くらい?に
一人で本屋に行っていた時に
体調を崩し、外に出たものの、
より酷くなり、
ベンチにもたれかかって
倒れかけたことがありました。
駅前で
たくさんの人が通ります。
恥ずかしいなと思う余裕さえ
なく、気持ち悪くて動けず。
たしかに目があった人や、
こちらに気づいている人は
いたのに、
誰も声をかけませんでした。
で、こんなもんなんだな。
どう見ても私、異常だと
思うんだが、、、と
ひどいながらに考えていると、
大丈夫ですか?と、
なんとシスターに声を
かけられました
水を、、、
と、私はひねり出すように
声を出しました。
シスターはすぐに近くの
コンビニで水を買ってきて
くださり、私が水を飲んで
少し落ち着くまでそばで見て
いてくださいました。
私がもう大丈夫です。という
まで。
お金も受け取らず、
風のように去って行かれ、
あの時のシスターさん、
本当にありがとうございました
その後、気持ち悪い最中に
なんとか連絡した母が
迎えにきました。
血でも吐けば、
即救急車なり呼んでくれたのかも
しれません。
今の時代、どんなめんどうが
転がっているかもわからない
ですし、何に巻き込まれるか
わからない。
親切心をズッタズタにされる
こともあるかも。。。
もし、私がよく体調崩す人で
少しすれば体調が
良くなるとわかっていたら、
とにかくほっといて!と
思うかもしれません。
しかしながら、あの瞬間は、
なんか、
あ、、、
そうなんだ。
誰も助けてくれないんだ。
と思いました
話は別件になりますが、
知り合いの旦那さんが
大きな道路を運転していると、
中央分離帯に子どもが2人
抱き合ってうずくまっていたそう。
ぱっと見でもわかったのか、
明らかにみすぼらしい格好。
尋常じゃないというのだけは
わかったそう。
恐らく、、、虐待だと
思われます。
あ!、、、と思ったけど
運転中。
その場を離れてしまいました。
他の車も気になっているような
運転の様子だったらしいです。
知り合いの旦那さんは
その後も子どもたちのことが
気になって頭を離れず、
結局夜にまたその場に
行きましたが、
誰もいませんでした。
なぜあの時すぐに助けなかったか。
と後悔がのこったそうです。
この話を聞いた私自身も
未だに忘れられません。
恐らく保護されたと
思いますが。いや、
そう、思いたいです。
いろんなケースを
言いましたが、
困っている人や
苦しんでいる人などが
いても、
もう、視界にも入らない人が
いる。
それはご縁もあるでしょうから
なんとも言えませんが。
(誰も世の中の全てが
わかるわけじゃない。)
もしくは、
助けたいという気持ちがあっても
なんか壁がある。
関わり慣れていないから?
そんな状況普段にないから?
いろいろなことを踏まえて
自分に何ができるのかな、
と考えさせられます。
更に話が飛びますが、
息子と昔話?のDVDを
鑑賞していると、
マッチ売りの少女の話が
ありました。
アレンジもあるんでしょうが、
同年代の子どもに
粗末な靴を奪われ、
売れないマッチを抱えた
少女の末路に、
なんとも言えなくなりました。
これは童話だけど
少なくとも、
あの少女は、
マッチをする度に出てくる
ごちそうや、あたたかなものに
一瞬の幸せを感じ、
最後には大好きなおばあちゃんに
抱かれていったわけですから、
まだそれが救いですが。。。
なんで、こんな寒い中に
靴を奪うことができるのか。
明らかに凍えているのに、
マッチを買ってやることも
あたたかい声かけや
助けを誰もしなかったのか。
息子も、神妙な顔になって
ました。
世の中には、
世界規模の悲しみを救おうと、
できると思って動く人、
それができないかと模索し、
生きる人もいるでしょう。
すごいことだとは思いますが、
誰にでもできることではない
ですね。
それが今生のテーマな人なら
すべて飛び越えていくと
思いますが。
でもせめて、
できない、
力がないなどと
後悔せず、
目の前のことくらい、
未来に起こるだろうと
わかりきったことにくらい、
自分の可能な範囲くらい、
動ける人になりたいです。
動いたことを忘れるくらい
当然に、
当たり前に、
自然に、
力強く、
でもささやかに。
相手に笑って欲しいと
思うし、
それを見て私も笑いたい。
小さな小さな規模だけど、
だからやっぱり
自分を、
家族を、
まず幸せに。
というほど、
私は優しくないですが
この連鎖が、
主人と関わる人に
息子が関わる人に
何らかのいい影響が
あるかもしれない。
輪が、波紋のように
広がっていくように。
自分にはそんな小さな
力があると、
そこから信じてみようと
思って生きています
私の目の前に、
私の手の先に、
私の思いの果てに、
つながった何ががあるはず。
私の知ることのない程
遠くに行けばいくほど、
嬉しいこと。
未来をそうやって
創っていくんです。
と、自分に伝えてます