こんにちは
心と身体の自由研究家
数秘カウンセラーの
cocoです


今日は、私が好きなスープに
ついてつぶやきますチュービックリマーク
毎度いきなりですが、

具沢山スープ!↓



ちゃんこ鍋ではありません。
具沢山スープです


具沢山過ぎて、

スープやなくて、
これは汁気の多い煮物やん真顔

と主人。


いえっ、これは
スープです!
ちょっと具沢山なだけさニヤ


私の母が作る料理の中で
好きなもののうちの1つが
これなんですが

母が初めて作ってくれて
食べた時、私は、


おぉっ!!
これは、、、

奇跡のスープじゃーアップ


と叫びました。雄叫びです。
カボチャスープと並ぶうまさ。


あ、なんか大袈裟かな。笑


私の好みドストライクやった
だけの話ですがあせる


絵本にもスープとか出てくる
じゃないですか?
あの、木の器に素材がわかる
感じにざっくり入ったスープが
私はイメージから好きでして、
母が作るカボチャスープも、
煮崩れ始めたカボチャがゴロゴロ
してるビジュアルからもう美味おーっ!
と思ってました。


母はその度に、本当なら
ミキサーとかで細かくするんだよ。
と何やら訂正してましたがうーん
母的にはポタージュにしたかった
のでしょうかね。


話がそれかけましたが、
そんなゴロッとしたスープが
好きなんです。


そしてエセ茶人のごとく
謙遜しまくりな家に育ちながら
母のスープを奇跡のスープ
言ったのには理由があります。


本当に奇跡だったからです。
あの時の美味しさは、
毎度は作れず、
その後作る似た者スープは
何か大事なものが欠けていました。


母は在るものブッコミ主義
ですから、スープの具材は
毎度変わります。

さて、あの時入れた具は
なんだったか、、、うーん

と模索すること数年。笑


結論は、

ジャガイモ&打ち豆&セロリ

がスタメンにいるかいないか!?
ではないかとなりまして、

作ってもらうと、うむ、
やはり!真顔
でした。


好きだから食べたいのですが、
息子に打ち豆はまだ難しいだろうし
ジャガイモセロリと
気合の模倣調理法で
乗り切ることにし、
今回自分でも久々に作ってみました。


気合の模倣調理法とは、
コンソメとか使わずに
オリーブオイルと塩だけで
野菜の出汁を引き出す?方法ですが、
これが習ったようにはできない


でも食べたいからやってみました。



今回の材料は、


ジャガイモ
セロリ(茎葉全て)
玉ねぎ
白菜

でした。確か!


これにきのことか、人参とか
もうなんでもござれデス!
きのこはえぇ出汁になります。
きのこの種類によって
味も変わるそう。
食感欲しけりゃレンコンかな?

皆さんをざっくりみじん切り。
(ちゃんと細かく
   みじん切りした方が
    野菜の出汁がよく出そうです。
   私のは雑過ぎ。5ミリ以下とか
   だったかじゃなかったか。)

冷たい状態の鍋に全ての材料を
入れてオリーブオイルを
もこみちイメージで垂らします。
(一般人がもこみち風やったなら
   ちょっと多めな感じになるはず。)

で、うまい塩を全体に散らし
(食塩ではきっと力不足)
ヘラかなんかで野菜に油と塩を
コーティングした状態にして、
火にかけます。↑イメージ大事。

中火?かな?いい感じに
なってきたら火は弱めて、
野菜に汗をかかせる感じ。
↑出汁になる。

様子を見ながら炒め、
直感で足りないと感じたら
油やうまい塩をつまみ足していき、
玉ねぎが透明になってき始めて、


あれ、、、どーだったかな?

火が通るちょっと前の状態
だったかな?で、水をin。

で、グツグツしたら完成

塩と油でこんなに?と
びっくりするお味。
(油の質も問われます。)

ちなみに、ただやっつけでやると
スープにたくさん油が丸く泳ぎ
ます。腸が弱い人は控えたい。

これがなかなか難しい。
だから油と塩を素材に
コーティングしている際に
そのイメージをするのが
大事な気がするんです。
どうも、そんな気が。


ちなみに今回はスープが少し
白く?なっていたので、
これは油と水が乳化している
状態でいいのかも??と
推測しました。
厳密に見ると丸い小さな油も
見かけましたが笑い泣き

それから
火が通るちょっと前を知るのに、
ちょいちょい具材をつまみ食い
して、生から火が通ってきた
感じを感じ取るんだそう。

五感を使った料理!と
習いましたね。

改めて言われると、え?って
なりますが、料理する際は
使っているはずなので、

意識してフル稼働してみ。って
話なのでしょうか。

私の尊敬する方々は大体、
五感どころか、
素材と話してますから滝汗
五感使うと六感まで行くのか?
と最初は驚きました。

私は未だ野菜が喋ってくる時と
そうでない時←が大半で
まったくそんな境地では
ありませんが、

物との対話と同じかと推測中。

自分を全く無視されて、
(↑これにおいては栽培方法や
   生産者さんの想いも影響。)
安い値段とかなんちゃらの素が
主で、素材自体は脇役的な扱いを
受けながら、

料理したくない!
誰も手伝わん!
疲れた!
イライラする!
なんでもいいから作っとけ!
めんどくさい!

という口や手や目で
ダンダン切られて投げ込まれたら?
(もっといくと、切られる包丁や
   まな板にまで素材に敬意を!という
   方も。わたしゃまだプラまな板ガーン

こんな状況では耳は
もちろん塞がれてますよね。


あ、ここ読んで悲しい表情に
なってる人は、間違いなく
対話する人ですグラサン

さっき言いました尊敬する方々は、
特にあの方なんて、
泣いちゃうかもです笑い泣き
あ、これ読んでくださってたら
今笑ってそうです。ニヤリ


そんな方もいるわけです。
素材一つひとつを愛でるように
調理する方々。

物との付き合い方も、
吟味されていけば行くほど
きっとそうですね。
ブログ見てるとみなさん、
物だけでなく、空間や
時間や思考も愛でている。

さっき言ったイライラは
なぜ生まれるのか。
それが見えてくる。
それも一般的ではなくて
個人的にはっきりとしたカタチで。

これらはつまり、
最終的には
自分を愛でることに
なるわけなんでしょうね爆笑


偉そうに言いましたが、
私まだ過程です!

そんな発見しながら、
日々奮闘してます真顔