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 長距離バス
   モスタル15:00→サラエヴォ17:35

 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都
     サラエヴォ
   
 トルコ式ホテル
 Isa Begov hamam  Hotel    朝食付で81€
 ハマムホテル(温泉風呂ホテルみたいな)



部屋にもバスがあったがスタッフがここを使いなさい
といってくれた。
ハマムって蒸し風呂なんだけど、お湯が張った浴槽も
あったので、そちらを使用。
やり方わからなかったので、普通の日本式入浴で。
トルコに行ってからハマムの意味も理解できた。


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サラエヴォ駅からトラム1番  ラテン橋下車


第一次世界大戦の勃発に繋がったオーストリア皇太子
夫妻暗殺場所 
ラテン橋
サラエヴォ事件は、1914.6/28にオーストリア大公フラ
ンツ・フェルディナントと妻のゾフィー・ホテクが、
サラエヴォを訪問中、ボスニア系セルビア人によって
暗殺された事件
一度は暗殺未遂に終わったが、、

実に平凡なラテン橋 右の赤い建物サラエヴォ博物館


皇太子夫妻は暗殺未遂事件の負傷者を見舞うため
サラエヴォ病院を訪問する最中に暗殺された

 (新聞挿絵 1914.7/12 付 画像お借りしました)


反対から見たラテン橋

街の中心地
バシチャルシア広場とセビリ(水飲み場)

 サラエヴォは多種多様な民族、文化、宗教

(イスラム教、カトリック、東方正教会、ユダヤ教)
多民族、多宗教が混じり合った魅力ある街

オリエントな雰囲気に包まれた街に慕って
お茶しながら人間ウォッチングしてました

職人街 銅製のトルコ様式食器や金銀細工のアクセサ
リーの土産物屋、レストランなどが並ぶ






 ランチにうなぎ料理を食べたのですが
生臭くて、😏🥴🥺🤨🤐
隣の台湾人観光客は平らげてましたけど





青空市場 ここも紛争犠牲者が多く出た所


イエスの聖心大聖堂(サラエヴォ大聖堂)



サラエヴォといえば冬季オリンピック(1984年)で
知られてますが、それから7年後(1991〜2001年)
ユーゴ紛争が起こりサラエヴォでも1万人の犠牲者が
でました

 旧市街入り口 永遠の炎


官庁街からコシェヴォ通りを北に15分 当たり一帯
墓標が広がる
サラエヴォ冬季オリンピックの補助グランドだった
所が墓地と化した。

日本のNGO団体が2002年桜の苗木600本を植えた

 サラエヴォに来たのは、ここからチューリヒに
 戻るエアチケットが安かったから😝
 しかし夜の便で、

 サラエヴォ19:40→チューリヒ21:20 の予定が
 遅延、最悪!😱

 常宿にしてるチューリヒのホテルベルエアに
「遅延で、24:00過ぎるかもしれない」とメール入れ
 空港からタクシー トータルすると、安上がりでは
なかったわ😆

 午前0時、ホテルに着くと閉まってて、ブザーを
鳴らすとドアが開き、フロントに
名前の入った封筒に部屋キーを入れて置いてあった🔑

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