吉田兼好児シリーズ5音の履歴書: 青春篇 | 清岡隆二, 清岡隆二 |本 | 通販 | Amazon

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AMAZON出版中:吉田兼好児シリーズ(5)音の履歴書「青春篇」をお手に取りご笑読下さった方より素敵な読後感想をAMAZONの本のレビュー欄に一筆して下さいました・ありがとう・感謝です!・励みになります!

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上位レビュー、対象国: 日本

            すしぞう

5つ星のうち5.0

2024年7月5日に日本でレビュー済み。Amazonで購入

タイトル「音の履歴書 青春篇」を読んで。

 

吉田兼好児さんの速筆エッセイシリーズ(5)「音の履歴書 青春篇」を読みました。芝浦工大の軽音楽部や社会人バンドでの活動の様子が目に浮かぶようで、充実した軽音楽部での生活や社会人バンドでの充実した活動が伝わってきました。

印象に残ったエピソードは、大学の軽音部のバンド芝浦工業大学シカゴジャズ楽団で、東京放送ラジオ番組「大学対応バンド合戦」にシンガーとして出たのがきっかけで、音楽事務所「太田プロ」の方から声がけ頂いて、プロのバンドの一員として歌手デビューしたという出来事。かなりPayもよかったようで、念願だった井の頭線池ノ上駅の高級江戸前寿司屋に一人で行って、高級寿司を堪能したとう話。学生ながら自分で稼いだお金で高級寿司を食べるのは、ざぞ気持ちがよかったことだろうと思いました。何か、自分のことのように情景が目に浮かぶ気がしました。

 

吉田兼好児さんのエッセイを読んでいて、いつも感じるのは、どの時代においてもポジティブでイキイキしているという点です。また、いつも、読みながら自分の過去を思い出してしまうことも不思議なほどで、それがまた吉田兼好児さんのエッセイを読む楽しみになっている気がします。

 

私は、バンカラではない東京にある某大学の体育会硬式庭球部に所属していました。文科系クラブではありませんが、芝浦工大の軽音楽部での生活の話を読んでいると、私の大学時代の生活を思い出しました。

私の所属していたチームは歴史ある部で、昨年100周年を迎えました。練習はかなり厳しく、毎年春先になると30~40名ぐらいは体験入部の学生が練習に参加しますが、早い人は3時間ぐらいで音を上げて帰ってしまいます。同じ代の仲間はセレクション3名、一般部員で残ったのは私を含めて2名の計5人だけでした。今でも、最高の仲間です。

 

練習のキツさは、もう2度と経験したくないほどでしたが、何かご法度に反すると坊主になるというルールが存在しました。いじめのようなものではなく、みんな楽しんでいる明るい雰囲気でした。黒黒集合(対抗戦や正式な試合で学生服を着る場面)で遅刻すると坊主、正式な試合で1回戦負けすると坊主、怪我の恐れが大きいスキー行くことは禁止で、スキーに行ったことがばれると坊主などです。

 

ほとんどの部員が4年間で1度は坊主になっていましたが、私は一度も坊主にならなくて済みました。けれど、坊主を覚悟したことが4年間で2度ありました。1度目は、初心者で入部した最初の大会の一回戦で、名門クラブの早稲田大学の選手と対戦することになった時です。同期の友人が、にこにこ笑いながら「可哀そうに、坊主決まったな!」と言っていたのを今でも覚えています。もちろん負けるつもりで試合に臨まないので、「勝つよ!」と強がって見せたのも覚えています。結果は、何と相手も早稲田大学テニス部では珍しい初心者の選手が相手で、私の勝ちでした。勝ったら勝ったで同輩から、よく勝てたなと揶揄われました。

2度目は、同志社大学との対抗戦で、同志社のテニス部が東京に来た時でした。当日、目が覚めたら、間違いなく間に合わない時間でした。黒黒の服装に着替えて駅まで走り、電車に飛び乗り、2回電車を乗り換えてグラウンドに向かいました。偶然にも、2回とも待ち時間なしで電車に飛び乗って、最寄駅からグラウンドまで走って集合場所に到着したのが、集合時間の1分前でした。同輩や先輩たちは残念そうな顔をして時計を眺めていました。

 

そんな思い出が、吉田兼好児さんの軽音楽部での生活と何故かオーバーラップして蘇ってきました。私自身の大学4年間もキツけれど充実した最高の時間だったと思います。

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