<故郷と伯父>吉田兼好児の速筆エッセイ集「家族」より 鮎釣り 高知東部の街・安芸(あき)

人それぞれに、人生は春夏秋冬、川の流れのように・・静かに去り、そして音もなく逝き・そして、魂は生まれ故郷の山河にかえる・・・。

◆土佐湾が室戸岬に延びる海辺、高知県の東部・安芸市は、多数の偉人や著名人を輩出している。商人なら誰でも知っている岩崎弥太郎(三菱グループの創始者)、音楽家なら誰でも知っている弘田龍太郎(大正・昭和初期を代表する作曲家)、ジャーナリストなら誰でも知っている黒岩涙香(明治時代の作家ジャーナリスト)冨田幸次郎(高知新聞の創刊者)・・・しかし、安芸市と云えば、何といっても「書道の街」である。日本書壇を代表する書家:川谷横雲・尚亭・手島右卿、南不乗などの生地である・・・。安芸の隣町・安田の清岡家に嫁いだ今は亡き実母は、アリゾナ州ウインズローの生まれである・・・明治時代にアメリカに移民した祖父母、祖父(野町)は安芸市穴内の生まれ・祖母(東村)は安芸市井口の生まれである、現在、祖父母は、米)南カリフォルニア・グリーンヒル墓地で眠っている・・・。アメリカ大陸鉄道の建設に従事した日系移民たち、祖父母は生活苦から・母とすぐ下の長男(伯父)を幼少の頃に、安芸市穴内の野町家に預けた・・・サンフランシスコ港まで母と伯父を引き取りに行ったのが・東京の伯父(祖母の弟)である・・・

◇僕は、この伯父が大好きだった。大学3年生の頃は、西荻窪駅近くの4畳半一間のアパートで暮らしていた、その当時、近くの「井の頭公園」駅傍に住んでいる伯父の家に、よく夕食をご馳走になりに立ち寄った・・、「おお!、隆二くん、よう~来た・よう~来た!、それじゃ・かつ丼と寿司をとっちゃろう~!、若いから・そればあ~は、食えるじゃろう~!?」、と、いつも・立ち寄った時は、定番の出前をとってくれた・・・。伯父は、鮎釣りが大好きだった。関東一円の鮎釣り川に脚を運んで楽しんでいた・・・。伯父は子供のように、ほんとうに嬉しそうに・鮎釣りの楽しさを僕によく聞かせてくれた・・・、「関東にも・有名な鮎釣り川は多いが・・・、隆二君、やっぱり、鮎釣りは・・なんと言っても、土佐が一番じゃが!・・安芸伊尾木川の鮎は、そりゃもう・忘れんの~!、もう少し長生きして・・・もう一度、生まれ育った安芸に帰って鮎を釣りたいの~!・・・・。そんな大好きだった東京「井の頭」の伯父は、築地で魚問屋を営んでいた叔母の高沢家に養子に入り、東京天文台に長年勤め・定年後も鮎釣りを終生の友とした・・・・伯父は、結局、土佐の安芸には一度も帰れずに逝った・・今も、東京で眠っている・・・・。

 

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