<ベニー>吉田兼好児の速筆エッセイ集「土佐日記」より 東京物語 悪太郎と愛猫

朝の熱いコーヒーの湯気が少し漂い香る部屋、片隅にあるテレビ台の上に愛猫べ二―の写真が飾られている・・・愛くるしい・まん丸い大きな瞳が浮かび上がる・・、ほんとうに懐かしい・・。

◆平成18年の初秋、ベニーは心優しいハチキンに看取られて幸せ顔に満面の笑みで天国に旅立った。

ベニーは認知症にも寝たきりにもならず、狭心症の持病で晩年はすこし病院通いをしたものの、とくに医者の世話になったと云う記憶もない・・。遊び人悪太郎はこの長老に、東京時代の秘密を“しっかり”握られていた・・、もし、こいつが人間の娘に化けて“悪太郎の夜遊び行状を喋ったら、まっこと・おおごとぜよ!”、と、心の中でビクついていた・・そんなわけで、長老が土佐で暮らすようになってからも、妙に頭が上らなかった・・。今日は盆入り、線香の煙がなびく中で、天国からは手が届かない長老の遺品・悪太郎行状日記を“こっそり”取り出して捲り読みをする・・にやにやしたり・阿呆面に冷汗したり、時折顔を赤らめたりしながら、熱いコーヒーを飲む・好きなジャズを聴く・・・。愛猫長老の名はベニーである。雌であったが、悪太郎の大好きなジャズクラリネット奏者ベニーグッドマンから名前を頂き命名した。平成3年に、ニューヨークに渡った女性ジャズピアニスト邸から、どういう理由か定かでないが、当時独り者だった悪太郎のもとに引き取られてきた。ジャズが好きだったベニーは、スイングジャズを聴きながら、ハッピーバチュラー悪太郎のシリーラブストリーをギシギシときしむベッドの脇で、いつも黙って呆れかえって・薄目を開けて垣間見ていた・・。ベニ―は東京のジャズ仲間やガールフレンドによく可愛がられた。しかし、悪太郎は外国出張で家を空けることが多かった・・、そのため見ず知らずの家に居候をさせられたり、息子の狭い部屋に住まわされたりで、ベ二―はそんな冷たい仕打ちをする悪太郎をかなり恨んでいた様である・・・。

平成14年夏、悪太郎が大学の仕事で故郷に引っ越す事が決まり、ベニーはそれまで住み慣れた大都会東京を後にした。羽田空港から飛行機に乗せられ片道切符を背に張られて南国土佐に向った・・・、羽田を発って約1時間半、生れて初めて眺める眩しい太陽の海・土佐湾、波飛沫飛び散る海岸縁に長く真っ直ぐに延びる滑走路、“ヒーロー坂本龍馬”の立て看板が迎える土佐と云う異国の地を踏んだ・・・。東京弁に慣れ親しんだベニ―にとっては此処は土佐弁である・流石にこれには戸惑った様子だった。夢天候型の悪太郎はどんな異国の環境でも異常な速さで順応できる・やはりその飼い主に似てベニ―も言葉以外は、“そりゃにゃんぜよ・にゃんぜよ”、と悪太郎に聞きながら・・・その旺盛な研究熱心さと努力の甲斐があってか・・、わずか半年余りで東京に居た時とまったく同じ様に、この異国の地・土佐で、落ち着いた暮らしを始めた・・・。いつも大好きな美味しいマグロを相手にしては、「阿呆な奴よ・遊び人悪太郎は、まったく救いようがない!、ちょっとは・悟れよ!」、と、よく“にゃごにゃご”と呟いていた・・・。

ほんとうに誰にでも愛されたよ!・・、東京で16年・南国土佐で4年、幸せな日々を過ごして、平成18年初秋・天国に旅立った。ベニーは、ハチキンにも話せない・誰にも恥ずかしくて語れない、悪太郎のヤングラブストリーを知り尽くしていた愛猫だった・・・、享年猫齢20歳・大往生である。

今、南国土佐のちょっと小高いペット霊園で眠っている・・・。高知龍馬空港に着いたあの日の夜、初めての異国の地・土佐の田舎で、手で掬えそうな星降る空を見上げて、「東京が恋しいよ!、ネオンが観たいよ!」 、と、泣き叫んだ・そんな愛猫べ二―だった・・・。

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