日系アメリカ人社会 南国土佐の水平線から南カリフォルニアが見える 短い家族の物語

60周年記念特別TVドラマ・橋田寿賀子シナリオ<99年の愛Japanese Americans>を御覧になられた方も多いかと思います。このドラマの内容は、移民した一世と日本に帰された子供達との別離、第二次大戦時のカリフォルニア収容所への強制収容と442部隊(日系2世戦士)のヨーロッパ戦争最前線での日系米軍兵士の心の苦しみや死、そして、その後の三世達の生き方、などなど、明治時代にアメリカに移民した一世とそのファミリーの共通な物語でした。このドラマに出てくる島根県からアメリカに移民した一世)平松ファミリーより約10年早く明治30年代にアメリカ本土に渡った高知)安芸からの移民が私の祖父(実母の父)です。

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祖父(野町春之助米名:チャーリーH.Nomachi)は明治時代、15歳でハワイに渡り、17歳の時アメリカ本土へ移りました。実母はアメリカ・アリゾナ州ウインズローで生まれました。小学校に入る年頃のとき、移住地での生活苦から日本に帰されて、祖父の実弟:野町家に預けられて成人し私の実父の清岡家に嫁ぎました。

アメリカに残った祖父母と実母の妹弟は皆、第2次世界大戦時はカリフォルニア日系収容所に入れられました。

 

母の弟(伯父)は第二次大戦ではアメリカ海兵隊として参戦しました。 もう一人の弟(伯父)は、小学校時代に日本に帰され、戦争時は日本の海軍特攻隊・予科練(江田島)に兵役し出撃前に終戦になりました。 幸せな事に兄弟が日米・敵味方で戦わずして終戦を迎えました。

 母の一人の妹(伯母)は、明治時代に和歌山県からアメリカ移民した叔父(Thomas Kinaga)と2世同士で結婚。その叔父は、アメリカ市民権を得る為に、アメリカ軍442(日系二世)部隊で、壮絶なヨーロッパ前戦で戦い無事に生還しました。その叔父は伯父伯母や家族が皆でお金を出し合いアメリカ社会で認めてもらえるトップエンジニアにさすためこの分野での先端大学に進学させました。 Stanford大学院電子工学部を卒業後、アメリカ大手企業の宇宙工学分野で長年研究活動し、ロサンゼルスのフューズ航空機研究センター宇宙レーダー研究部門長を最後に定年、一昨年他界しました。

その叔父(Thomas Kinaga)の娘(私の従妹:3世)Patricia Kinagaは、カリフォルニア・バークレイ大学院・ジョージタウン大学院(司法専門)を卒業しロサンゼル市(家庭内暴力)担当など務めて現在、南カリフォルニア州所属の弁護士をしています。

 

彼女は、父が442部隊の西部前線から生還しその壮絶な戦いと日系アメリカ兵士の心の葛藤を聴いて、彼女は<Japanese Americans:442部隊>に関する映画を製作しました。 

そして米国内へ日系米人と442部隊日系ファミリーの人権に関する啓蒙活動や補償・復権を米国政府に訴えてきました。オバマ政権も、昨年の10月やっと、この戦争史実を認め補償叙勲を議会に提出しました。

 

 南カリフォルニア優秀弁護士に選出されたPatricia Kinagaは、アメリカ社会に多い日系アジア系家庭内暴力などに関して全米で女性人権啓発活動をしています。

 

現在、アメリカでのマイノリティである日系人社会については、まだまだ多くの問題が残されているのも事実です。

 

昨年に放映された<TBS60周年記念特別番組:橋田寿賀子シナリオドラマ(99年の愛:Japanese Americans>は、日系アメリカ人ファミリーにとっても大きな意義のあるものでした。

現在、南国土佐・安芸郡安田町唐浜、四国八十八ヶ所27番札所・神峰寺の麓で暮らしている実母は93歳になりました。その弟妹達(2世)・私の従弟妹達ファミリー(3世)・その孫達(4世)等、16世帯がアメリカ人として西岸に暮らしています。

 

ロサンゼルス郊外グリーンヒルの墓地には、何時の日か故郷に帰ることを夢に見続け、息子や娘に自分の墓を遥か日本の土佐湾・安芸方向に造らせて眠る祖父母が居り、実母は何時も南国土佐の水平線を見て南カリフォルニアに想いを馳せます。