清岡隆二著;吉田兼好児シリーズ(4)音の履歴書「早春編」をお手に取ってご笑読くださった筆名“すじぞう”(FB友達の南部博之さん)が、AMAZONサイトに素晴らしいレビューを書いて下さいました。感謝です!。励みになります。

吉田兼好児音の履歴書: シリーズ4早春編 | 清岡隆二 |本 | 通販 | Amazon

 

 

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上位レビュー、対象国: 日本、Amazonで購入

2024年5月24日に日本でレビュー済み

筆名“すしぞう”さん。5つ星のうち5.0

タイトル「音の履歴書 早春編」を読んで」。

吉田兼好児さんの「音の履歴書 早春編」を読んだ。先ず、驚いたのは、少年期に憧れのハワイ航路を歌っていたということ。吉田兼好児さんは私の大先輩ですが、私も幼少期にこの歌が好きでよく歌っていたのです。子ども心に、明るい親しみ易いメロディが好きだったのかも知れません。この歌を歌うと、親が喜んでいたのを思い出します。

少年期の話の中で、勉強をしないで遊び回っていたことも自分の少年時代を思い出させるものでした。私は、神戸の垂水で育ちました。学校から帰宅すると、そのまま日が暮れる頃まで毎日のように外で遊び回っていました。小学校の高学年にもなると、地元の垂水から舞子周辺の校区内では知らない道は小さな路地に至るまでありませんでした。

小学校の教室からは明石海峡の行き交う船が見えて、時折、船のエンジンのボボ…という音が聞こえて来ます。たまに明石海峡の潮の流れが早すぎて押し戻される船があり、授業中にそんな船を見つけるのが楽しかったのを思い出しました。

時代は多少違いますが、吉田兼好児さんも、少年期は同じように遊び回っていたのだと思うととても親近感が湧いて来ました。

吉田兼好児さんが芝浦工業大学に進学されたあと、夜間のジャズ音楽学校に入った話もとても印象に残りました。学長が高知の出身だったことや、かまやつひろしさんのお父様であるティーブ・カマカツさんに師事されたことも驚きでした。

かまやつひろしさんと言えば、どうにかなるさ、あの頃君は若かった、バンバンバン、我が良き友よなど、印象に残る曲が多くあります。とても好きなミュージシャンでしたが、お父様のティーブさんの影響も大きかったのでしょう。

本の中で、ギターを持っていないことを伝えた時、直ぐにこれから先生となるティーブさんが新しいギターを買ってプレゼントしてくれたという話がありました。こんな粋でかっこいい人にギターを教わったことは、さぞ楽しかっただろうと思います。

私もギターを弾きますが、先生についたことはなく自己流ですので、羨ましくもありました。ギターを習うということよりも、こんな素晴らしい方から習うことが楽しかったのだろうと思います。少年期に祖母からバイオリンを買ってもらって習っていたことが書かれていますが、怖い先生で3ヶ月で辞めてしまい、祖母を怒らせたということが書かれています。その先生は、ティーブさんとは器が違ったのでしょうね。

そう言えば、妻も幼少期に祖父からバイオリンを買い与えられてバイオリンを習ったのですが、暗い部屋で陰気なレッスンだったので嫌で直ぐに辞めてしまったそうです。義父は怒って、買い与えたバイオリンを叩き壊してしまったそうで、いまだに笑い話になっています。

大学の軽音学部の幹部マネジャーの話は面白く当時の情景が目に浮かぶようでした。現在の大学のクラブ活動とは雰囲気が全く違っていたのだろうと思います。ある意味、文化系クラブも体育会系だったのかも知れません。

私は大学の頃、日本で最も厳しいと言われていた体育会の硬式庭球部で活動していました。練習は本当にキツかったのですが、先輩たちは紳士で厳しくもあり優しくもありました。大学時代のテニス部での生活は思い出深く、同期は今も最高の仲間です。

吉田兼好児さんが入部した頃の軽音楽部は創部間もなかったので苦労も多かったようですが、それだけにいい思い出も多かったに違いないと思います。

私の従兄弟は某大学の一期生だったのですが、少林寺拳法部を創部して、創部して間もないのに全国優勝を果たした話を聞いたことを思い出しました。従兄弟の同期の一期生には、作家の宮本輝さんがいたそうで、テニス部を創部して頑張っていたという話を聞いたことも同時に思い出しました。この話は、宮本輝さんの著書である「青が散る」で読んだ気がします。

そんなことを、つらつら考えながらこのエッセイを読みました。時代は少し違いますが、少年期、青年期の充実した日々が窺えて、ほっこりした気持ちになりました。

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