◆母校) 芝浦工業大学のこと・卒業後の素晴らしい出会い」

 

当時、高校は地元では唯一の伝統進学校だったが、高校を卒業すると実母の祖父母や伯父伯母が暮らしているアメリカに渡るつもりだったので、日本の大学受験の勉強をした記憶がまったくない・・・。

 

「日本も・もうすぐ最後になる!」と思い、3年生になっても相変わらず勉強もせずに遊び呆けていた。しかし、父方の祖母が、“ 隆二!、どうか日本にいてくれないかい!”、と、あまりに泣くし、祖母はまた・実父にも実兄にも、“ 隆二をアメリカの祖母にとられてしまう!、何とかアメリカ行きをやめさせてくれ!”、と、泣きつく始末・・・、結局、家族総出で意見され・アメリカ行きは取りやめた・・・それを決めたのが高校3年の12月だった・・・。しかし、家から出してくれる金は少ない、さらに、親からは “ 浪人は絶対ダメだ!”、と、きつく言われた・・・。それで、とにかく暗記などしなくてもいい科目を選択できて、計算中心で好きな “ 数学・物理・英語 ”の3科目だけで受験できる大学・しかも、入学金も授業料も比較的安くて一発で合格できる大学、卒業しても食いはぐれのない大手企業へ抜群の就職率を誇る伝統ある工学系単科大学を探した・・・。探し当てたのが、東京の「芝浦工業大学」だった・・・。

 

今、思えば、この大学に入学したお陰で、素晴らしい担当教授に会えた・そして、その教授の推薦で、東証一部の三井系技術貿易会社・東京大手町本社に就職できた。この会社で主に担当した国は、実母の家族が暮らしているアメリカでなく・イギリスの企業や研究所だったが、しかし、この会社での勤務時代に、ケンブリッジ大学院出身物理学者で世界的な電気防蝕学者「Cathodic Protection」の著者J.H.Morganに出会った・東京大手町本社で満9年勤務した後、彼に呼ばれてイギリスに渡った・・・。

 

今度は其処で、オックスフォード大学院物理学出身の世界的な超低ノイズ3軸電界センサ研究開発学者G.H.Backhouseと出会った・・・。そして、彼は、僕のライフワークを決定づけた唯一の40年来の親友となった・・・。

 

人生のスタート・“芝浦工業大学”、僕にとっては忘れられない母校である・・・工学部電気工学科(軽音楽部元気好楽科)・東京声専音楽学校夜学ジャズ科・・ほとんどジャズばかり演っていたが・・。

 

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本)イギリス旅情