吉田兼好児の速筆エッセイ集「音の履歴書」より スイングピアニスト愛称)英ちゃん(沢田英二)を偲ぶ 和製テディ・ウイルソンは財閥の御曹司 

 

高知県安芸市は岩崎弥太郎の生地である。三菱)岩崎財閥の沢田一族では、沢田美喜女史が広く知られている・・・彼女は、敗戦後、エリザベス・サンダースホームを創設し、2000人近くの混血孤児を育て上げた・・、沢田美喜女史は、三菱財閥の3代目総帥・岩崎久弥の長女、創業者)岩崎弥太郎の孫娘として生まれて、外交官の沢田廉三と結婚した・・・。

故)ジャズピアニスト沢田英二・「和製テディ・ウイルソン」愛称 英ちゃんは、この「沢田家一族」である・・・。

◆英ちゃん(沢田英二)は、1952年にジャズピアニストとしてプロデビューし1959年に日本で初めてジャズピアノコード教本を出版した。水野純交グラマシーファイヴ、藤家虹二クインテット、北村英二クインテット、南里文雄オールスターズ、自己のピアノトリオを結成し活躍した・・・。

僕にとっては忘れられないバンマスだった・・沢田英二カンサスシティオールスターズと沢田英二トリオ、師匠ジャズベ―シスト中村親義氏と一緒に僕もリズムギターで参加させて頂いた・・後楽園野外ホール・日比谷野外ホールなどサマージャズ祭には、沢田英ニカンサスシティジャズオールスターズが参加した・当時のフロント管セクションは、Tp光井章・As五十嵐明要・Ts尾田悟・Cl北村英治・ゲストボーカル森サカエ、このメンバーで・高田馬場にあったVICTORプラザにてジャズ司会者行田よしお氏による1001ジャズコンサートに参加して・レコード収録等も行った・・・。

その他、雑誌「ジャズ批評」の評論家柳沢安信(ODJC会員)の記録によれば、第14回 昭和54年(1979 )6月新橋ヤクルトホールの合同コンサートでは、沢田英二と関東ディキシー組合オールスターズが演奏しているメンバーは:金子晴美(vo)、沢田英二(p)、飴尚泰(tp)、橋本淳一(cl)、中村親義(b)、清岡隆二(g)、ケン岡本(d)・・。

英ちゃん(沢田英二)は、地元)川崎市のジャズ発展・地域活性化のために喫茶店やレストランで、ボランティアで演奏した・・この時、沢田英二トリオではベース中村親義リズムギター清岡で演奏した、彼は本当に人間技とは思えない極端なアップテンポが好みだった・・・・ドラムレスでリズムセクションはベースとギターの二人、4ビートの極端なスイング感とうねりのダイナミックスを創るリズムギターの刻みをいつも要求された・特に彼のオハコ「Dark Eyes」には泣かされた・・・・いつも演奏が終ると指が固まり温めたり冷やしたり、大変だった事を今でも想い出す・・・・。

また、忘れられない想い出としては、テディウイルソンが来日した時・英ちゃんの依頼で僕は、新宿京王プラサホテルに滞在する彼にアポを取り、英ちゃんとテディを引き合わせた・・・・通訳兼マネジャーとして、英ちゃんとテディの面談に立ちあった・・「ピアノ人生・テディウイルソン一本道」としてやってきた英ちゃんは、言葉にならないほど感激していた・・・・。

◆1980年(昭和55年)に東京)西新宿にセンチュリーハイアットホテルが開業し、2階のピアノバ―「オードヴィ」がオープンした・・・このピアノバーが、和製テディウイルソン・英ちゃん(沢田英二)がソロで弾く音の生涯の城だった・・・。

僕は、英ちゃんのスイングピアノを聴くために、よく遊びに行った・・・僕が行くと“キヨちゃん元気かい!”と、いつも笑顔で迎えてくれた・・弾けて煌めく彼のソロピアノ、正確無比な左手のベースランニング・猛烈なリズム感、テディウイルソンを彷彿させる・・、お客は“やんや”の拍手である・そして大変な額のチップが籠に舞う、そして明るい本当に嬉しそうな笑顔の英ちゃんを今でも想い出す・・・。

彼が逝く前、「沢田英二・芸能生活50周年パ―ティ」が新宿ハイアットホテルのスカイホールで開かれ大勢のジャズ仲間が集まった・・・時を忘れる楽しいジャズのパーティだった。彼の人徳と素晴らしい人柄が偲ばれる・・・・・。

AMAZONのサイト

著者紹介ページ

Amazon.co.jp: 吉田兼好児: books, biography, latest update