吉田兼好児の速筆ライトノベル随筆集「音の履歴書」より 音の保証人・ジャズ喫茶「渋谷SWING」の宮澤さんに、感謝いっぱいです

 

◆大学軽音楽部時代の日常はこんな風だった・部活をやっていない同窓生とは、あまりにも程遠いジャズ漬けの毎日だった・・・。春休みは春休みで・夏休みは夏休みで、慰問や合宿演奏旅行などがあり、また、冬休みの年末正月などは、東京在住のバンド仲間とジャズ喫茶でジャズ談議にふけり昼夜を過ごす。地方から東京に出てきている学生のように故郷の実家に帰る・そんな様ではなかった・・・・。

◆夜の生活といえば、夜間のジャズ学校に通う・終れば、渋谷の道玄坂にあるジャズ喫茶「SWING」に立ち寄る、コーヒー1杯でねばり最高の音響設備でジャズの輸入盤に聴き入る・・そんな夜な夜な。当時、ジャズ喫茶「SWING」は東京に2軒あった・・一軒は、水道橋「SWING」・ここはニューオリンズジャズなど所謂クラシックジャズのマニアック輸入盤LPを聴かせる店、もう一方は・渋谷「SWING」、ここはシカゴジャズやカンサスシテイ・中間派と云われるマニアックな輸入盤LP を聴かせる店、もちろん両方とも音響設備はプロ級の凄い高価なシステムを使っていた・・。その頃の好みは、シカゴや中間派ジャズ奏者の演奏だったので、もちろん・「渋谷SWING」に入り浸った・・。「渋谷SWING」に通い始めた頃、この店は銀座から渋谷道玄坂に引っ越して何年か経っていた・・店のオーナーは宮澤さん、気さくな鮎釣り名人の親父さんの口癖は、「キョセン(大橋巨泉)な^あ、奴が早稲田の学生の頃はよく銀座SWINGにきたものよ、渋谷に越してからちっとも奴は顔を見せないが・・しかし、奴は勉強家だったよ!、大学卒業しても食えないから銀座の店に入りびたりだったよ、今じゃジャズ評論家とか何とか言ってるそうだが・・」・・・。2年生時は、西荻窪に下宿していたので、「渋谷SWING」で閉店までレコードを聴いていると渋谷駅発新宿経由中央線の最終便に乗り遅れてしまう・・それで結局、3年生から井の頭線「池の上」駅近くに引っ越した・・。「SWING」の閉店時間は真夜中過ぎで、道玄坂を歩いて渋谷駅の井の頭線の改札口までいくと、最終便「明大前」行きには間に合わなかったので、「SWING」から比較的近い「神泉駅」から乗っていた・・。年末・渋谷「SWING」の恒例行事は、何といってもプロバンドの有名な奏者や社会人バンド奏者の共演やセッションだった・・大学のジャズバンドに所属する学生にとっては勉強になる凄いプログラムでいつも超満員だった・・、特に、ミュージシアン仲間に人気があったトッププロ奏者では、「横浜ナイトアンドデイ」楽団のバンマス:中川武(クラリネット・アルトサックス奏者)、凄い音と“カミ一重”のアドリブセンスの渡辺正典(トランペット奏者)、ちょっと尋常じゃ真似のできない凄腕ビート感性の中村親義(ベース奏者)他、また、社会人バンドでは有名な常連バンドの津村昭(Bjo)ストリービルダンディ―ズ、山口英一(Tp)菅野天津男(Cl)中島三郎(Tb)春川ひろし(Dr)などがメンバーの「カーゴディクス」だった・・時々、セッションに立ち寄っていた“ニューオリンズジャズ”クラリネット奏者笠井義正やジャズボーカルの水島早苗などなど・・・・。「渋谷SWING」の親父さんが「よ~!キヨオカくん、よ、いいのがあるよ!、バンドメンバーもゴキゲンよ!、唄もギターも勉強になるから!これを!」、と、何千枚のコレクション輸入盤LP から選んでは聴かせてくれた・・、聴き終ると「いいだろう~!、やっぱり・・これは!」、と、親父さんは一晩に2,3枚はLPを回してくれた・・・・・。

◆大学時代から社会人になってからも、オーナー(宮澤)親父さん・そして、お嬢さん・息子さんの代まで、ほんとうに“長年にわたり家族のようにお付き合い頂きました・・・・たった1杯のコーヒーで、何一つ文句も言わずに閉店までジャズの名盤を聞かせてくれた「渋谷SWING」・忘れられない沢山の音と素晴らしい出会いを頂きました。本当にありがとうございました!。

 

ANAZONのサイト

著者紹介吉田兼好児の紹介

Amazon.co.jp: 吉田兼好児: books, biography, latest update