<小学生時代>吉田兼好児の速筆ライトノベル随筆集「音の履歴書」より 初めての楽器 ハーモニカ

 

◆小学生時代は、土佐の田舎の海辺街で育った・・清岡家は、一族の本家だった。その当時、祖父が町長をして街のために資産をなげうって治水事業などをやっていた・・、兄はこの実直な祖父に可愛がられて育った・・しかし僕は、「婆育ちは3文安い」と伯父や伯母たちにいつも言われながら・・・祖母に、甘やかされて“我がまま” で、とにかく “じっと” しない ・落ちつきのない”ガキ坊主に育った・・・・。祖母は身体の具合いが少しでも悪くなると,すぐ街の仲良し女医さんを呼んで診てもらっていた・その女医さんの長男も、僕と同じ歳で小学校の同級生だった・・。そんなある日、祖母から・僕の7歳の誕生日にと、“特別なプレゼント”があった・・・開けてみると、それはなんと・生まれて初めて見る“バイオリン”だった・・「オマエもこれを弾ると、少しは落ち着きのある子になるだろう~!、習ってみなさい!、お医者さんの坊ちゃんも習うらしいから・・、毎日・毎日外で遊んでばかりいないで、少しはこれでも習いなさい!」、と・・・。祖母から貰ったバイオリンを抱えて先生の自宅に通い始めて、すぐに嫌になった・・僅か3ケ月程で、習うのをやめてしまった・・これには、祖母が怒った「オマンはもうやめるかよ!、何ごとも“石の上にも3年”と言うが・・たったの3ケ月でやめるかよ!、どうして止める?、おばあちゃんに訳を言いなさい!」・・・、おばあちゃん、別に・・バイオリンが嫌いじゃないよ~、“先生が嫌いよ~!”、いつも怒ってばっかりで、ムチで叩かれるし、嫌だよ!怖い!・・・、「そうかい!、それなら・・やめなさい!、もう二度とお前には、楽器は買って上げないよ!、まったく・辛抱ができないから、オマエは・・」・・・・。それからも・・相変わらず、小学校の太郎や花子と一緒に、山に行ったり・海に行ったり・川に魚を獲りに行ったり、遊んでばかりだった・・・、音が出るモノと言えば・・農機具の発動機用燃料ドラム缶や親父が夕食時に料理に使う”カツオの藁焼き“ 用の灯油缶などがあった・・これを、竹の棒で叩いてよく遊んだ、自分で適当なリズムを作って、独りで踊りながら、叩いて楽しんだ・これは、すごく気分爽快だった・・・。小学校4年生の時、その当時・学校の先生をしていた音楽好きの伯母から、僕の誕生日にとプレゼントがあった・・包をそっと開けてみると、ケースに入った“トンボのハーモニカ“だった・・、さっそく伯母から吹き方を習った・・・、これは楽しくて・楽しくて、布団の中に入っても吹いて、よく祖母に叱られた・・・毎日・毎日、遊びにも行かず、夢中で練習した・・、唄える曲なら適当に吹けるようになった・・フォスターの”オールドブラックジョー“やラジオから流れてくる童謡”などなど・・、舌を使ってリズムを作りベースもできるようになった・・今、思えば、そのハーモニカはC管で”♭や♯“のスライド付きでないモノだったが・・。大学の軽音楽部でニューオリンズジャズの小編成バンドでギターとハーモニカを担当し”ブルース“を吹いたことが、この小学生時代の記憶と重なる・・・。小学生時代に、ハーモニカを自己流で吹いた一番大好きだった曲は何と言っても・・それは「みかんの花咲く丘」だった・・・。

 

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