<和田肇先生のこと>吉田兼好児の速筆ライトノベル随筆集「音の履歴書」より 長州人の粋と子分

デックミネ・淡谷のり子

 

NHKの連続テレビ小説「ブギウギ」の主人公・花田鈴子(趣里)のモデルは笠置シヅ子である・このライバル役の茨田りつ子(菊地凛子)のモデルは、ブルースの女王淡谷のり子である・・・。

この歌手淡谷のり子が最初に結婚したのがジャズピアニスト和田肇である・・僕は、和田肇先生にはプロデュサー時代に大変お世話になりました。和田肇先生とはいろいろな思い出話があります・・・。

ジャズピアニスト和田肇先生がお亡くなりになる前、ご子息:俳優和田浩二さんの奥様田村順子さん(“順子のママ”で知られていた)銀座の高級クラブに行った後に必ず銀座並木通りの映画「東映」が経営する倶楽部“SOUND IN 101”(2階:ジャズクラブ、3階:東映の会員制倶楽部)に好きなジャズを聴きに立ち寄ってくださいました・・その当時、僕は藤沢に住んでいたので閉店後は、車で和田先生の横浜磯子のご自宅によくお送りさせて頂きました・・・・。処で・此処で言う“親分・子分”ですが、親分といえば日本ジャズ史の大御所「和田肇」先生で子分といえば、歌手「ディック・ミネ」さんの事です・・・。僕が和田肇先生とディック・ミネさんと、お二人ご一緒で、最後にお会いしたのは東京新橋ヤクルトホールでの「オールドボーイズ」コンサートの楽屋でした・・・。その後、病床にあった和田肇先生をお見舞いした時、僕に「この次のコンサートは、ガーシュインのラプソディ・イン・ブルーを弾くからね、頼むね!キヨオカ君!、毎日練習をやっているから、指は・”まだまだ” "ほら"こんなに大丈夫だよ!・・ボクは必ず、演るからね!」・・、これが、先生の最後の言葉でした・・・。和田肇先生は終戦直後進駐軍占領下のNHKラジオ放送の生番組で、ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」を初めて弾いたジャズピアニストで著書に「ジャズ漫遊記」があります。また、歌手淡谷のり子さんの最初の御主人です。今は亡き・クレイジーキャッツのハナ肇さんが和田肇先生を大変尊敬されて、先生から〔肇〕と云う芸名をもらった話はよく知られています、日活映画の俳優だった(故)和田浩二さんのお父上が和田肇先生です。昔、東京銀座・並木通りに映画の東映がジャズクラブ〔SOUND IN 101〕をオープンした当時、僕はブッキング・プロデューサーを仰せ付かりました。その東映倶楽部のマダムが和田肇先生のお嬢さん(元)東映女優の金澤さんでした・・・それが御縁で、和田先生と長く親しくお付き合いをさせて頂きました・・。和田肇先生の大親友で弟分だった御仁が歌手のディック・ミネさんでした・・・。また、ディック・ミネさん(徳島出身)が僕の母校土佐高校の初代校長三根先生のご子息であったことから、ミネさんにも可愛がって頂きました・・・。長州人の気骨、粋とダンディ、そして、優しさと心遣い、和田肇先生の心の温もりを感じながら、豪放磊落なデック・ミネさんが唄う懐かしい「リンゴの木の下で」を聴きながら・・・、静かな南国土佐の朝を過ごしています・・。

 

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