<愛唱歌>吉田兼好児の速筆ライトノベル随筆集「音の履歴書」より ふるさとの唄  祖母を偲びながら、いつも唄っている★南国土佐を後にして

 

◆可愛がってくれた祖母のことを想い出しながら、いつも唄っている故郷の唄・・・。

清岡家は、先祖代々、祖父は長男を可愛がり、祖母は次男を可愛がる家系、僕は3歳頃から、母より祖母に育てられた、事ある毎に、伯父や伯母から、『お婆育ちは3文安い、どうしようもない甘ったれだよ・この子は!』と、よく云われた。学友が大学受験を控えて猛勉強している高校3年になっても、特に受験勉強はするでもなく、馬鹿遊びばかりしていた、卒業後は母の家族が居るアメリカに渡る事ばかりを考えていた、高知に居る母の親戚は地元の高校卒業後にアメリカに渡り、カリフォルニアの大学を卒業しアメリカ企業に就職した。日本では車もテレビもまだそれほど普及していない時代、アメリカに住んでいる身内は既に車を持ち自宅にテレビがあり、いい暮らしをしていた、僕はそんなアメリカの生活に憧れていた、『アメリカに渡れば、何とかなるだろう、でも、土佐には帰れないな、ちょっと寂しいけど』、事あるごとに〔南国土佐を後にして〕を唄っていた…こんな阿呆気分で、とうとう・高校3年の秋が来た、『お前、来年は大学だろう・遊んでばかりいるが、お前を浪人させて迄・東京の私立大学に行かせる金の余裕は家には無い、大学受験は一回限りだ、ちょっと勉強すれば・土佐高だから安い授業料の国立大学は行けるだろう、馬鹿ヤロウ! 』が兄貴の口癖であった、長男の兄貴は親父が町議会の仕事で家業が出来ない事を知り、進学校の土佐高を卒業しながら大学に進まず、先祖代々の農業の家督を継いだ、『お前は大学に進学せずアメリカに行くと云っているが、日本の会社に就職しても・アメリカぐらいは、行けるだろうが!』、それを聴いた祖母が、『 隆二、どうぞ・アメリカに行く事だけは止めてくれ、どうか・私が死ぬ迄は日本で、私の傍に居ておくれよ、』、祖母は僕を“アメリカの祖母に盗られてしまう”・どうしたものやら、と何時も思い悩んでいたらしい、『やっぱり、アメリカ行きは、駄目か!』、『貿易会社でも就職すれば、何時でもアメリカに行って暮らせるか?、ここの処は可愛がってくれた祖母の願いを聞くとするか・・・、僕を人一倍可愛がってくれたし、しようがないな…』、高校3年の12月、余りに悲しそうに涙ながらに訴える祖母を見て、急遽・アメリカ行きはとりやめた、兄貴の云う通り就職の好い工学部で授業料の安い私立大学に行く事にした。大学入学の春が来た、四国山脈を走り抜ける土讃線の石炭列車の中、煙が近くに来ては遠くに流れて消える窓越しに、時として映る切立った渓谷をぼんやりと眺めながら、繰り返し、繰り返し、唄った故郷の歌:『南国土佐を後にして』・・・・・。

あれ以来・・・・外国に居ても、東京に居ても、そして還暦で土佐に帰郷してからも、いまだに・この歌を唄っている時がある・・・・

 

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