お疲れ様です。
4回生の柳です。
ついに最後のブログになりました。
長かったようなすぐだったようなそんな感じです。
どんな感じで最後迎えるんかな〜とずっと思ってました。寂しくなっちゃうんだろうな〜とかずっと思ってました。
でも違いましたね。
「やっと終わりだー」
この気持ちでいっぱいです。
とてもスッキリしています。
今までの先輩が過去振り返ってるので自分も少しだけ🤏🏼
小2で選手コースにあがるというスピード出世を果たし、ブレ専門を志して練習を始めました。
しかし、すぐにブレを辞めます。自分より速い同級生がいたからです。小3くらいで逃げるようにバックを始めます。これがバック専門になった理由です。バック始めた理由ダサすぎですね🫣
その後小4で初めてJOに行くことができ、中2の春JOで決勝に行くことが出来ました。その半年後の岡山全中でも入賞を果たすことが出来ました。
ここまではある程度は思い描いていた通りの結果を出すことが出来ていたし、特に苦労することもない順風満帆な水泳人生を送れていたと思います。
この写真しかなかったので勝手にあげてごめんみやぎあゆ
しかし、その後コロナ期間で泳げなかったことから調子を崩し、高一で58.59まで伸びた1バックも高2では1分も切れないレースが続きました。そして高3は2バックでは辛うじてインハイ出場を決めたものの、1バックでは標準記録を切れないという挫折を味わって水泳を辞めることになります。
もう水泳はいいや。大学に入ったら別のスポーツかサークルに入って遊びたい。高三で引退した時に感じました。
そして大学受験の時にはご存知の方も多いと思いますが、バスケへの道を志しバスケと受験勉強の両立をした結果、受験戦争に敗北し兄と同じ岡山大学に入学します。
そして入学後すぐに水泳部内で僕のLINEが流出し、バスケ部の新歓に行くこともなく水泳部に入部することになります。
部活にはいるんだし、中途半端な努力するのは嫌いなので大学水泳の目標を
「1バックで56秒を出す!」
にして水泳をまた始めました。
高校の時岡山出身で今の東洋大に通っている仮屋くんが僕の横のレーンで56秒出しまくっていたから、すげーなー、はえーなーと思って1バック56秒というタイムにすごい憧れがありました。
当時の1バックのベストは高一の58.59のままだったのでかなり高い目標を設定しましたが、56秒は自分の中で中で特別なものすごく速いタイムだったので絶対に56秒出すつもりで練習を始めました。
最初は環境の変化にもある程度対応でき、6月には58.57の3年ぶりのベストショット、8月のインカレでは57.7の大ベストが出ました。
高校のときまではクラブに同じバックの練習相手がいなかったし、フリーの練習ではずっと1番でした。でも岡山大学水泳部には同じバック専門で大きくベストが変わらないゆずきさん、ようせいさん。そしてフリーでは絶対に勝てないたかしさんとたまに勝てることもある竹内、エアロ強者のわたるさんなど先輩の練習相手がいたことも大きかったのかなと思います。
しかし2年目の夏は1年目と変わり1度もベストを出すことができませんでした。57秒すら出すことが出来ませんでした。練習も死ぬ気で頑張っていましたし、ウエイトもしていたつもりだったのに伸びませんでした。悔しかったし、もう練習に行くのが嫌になりインカレ後の1ヶ月は友達に誘われた2回しか泳がず、新しいシーズンを迎えました。
しかし、ここで自分の中で2つ変わったことがありました。
1つ目はメニュー作成を始めたことです。
自分は今までメニューに書いてあることを書いてあるままに適当にこなしていました。ハードって書いてあるところは何も考えず無邪気に全部頑張ればいいみたいな練習をしていました。
恥ずかしいので言えないですがEN1とかの意味をここで初めて知りましたし、HRとかの測り方とかも初めて知ることになりました。そして練習全部頑張ることが正解じゃないということもここで初めて知ります。恥ずかしいですね。
2つ目はOSKのクラブの練習に参加させてもうことが多くなったことです。自分の高校までのクラブと繋がりがあったことと、OSKの和気コーチおもともとお話させて頂いたことがあったことで大学1年の頃からたまに練習に参加させて頂いていましたが、2年の冬から頻度を増やして参加させてもらう事が増えました。
指導者の存在はもちろんだし、自分が知ることがなかったドリルのことや泳ぎの作り方など沢山知る機会が増えました。和気コーチには感謝してもしきれないです。
春先に腕の故障があり1ヶ月程キックしか出来なかった時期もありましたが、5月の5県予選で2年弱ぶりのベスト、そして3週間後の5県対抗本戦で初めて56.91のベストを出すことができました。
しかし、その後腕の故障が響き満足いかない練習が続いたこともありそこまで記録を伸ばせず、いい結果を残したかったインカレでも周りは結果を残している中全くと言っていいほど何もできませんでした。
でもこの時、良くも悪くも諦めがついちゃいましたね。インカレの上位層との差を感じさせられました。
そしてラスト1年、主将を任せてもらいました。
今までしたことなかったですし、不安もありましたけど、ちゃんと引っ張っていきたいと思っていました。
しかしその気持ちと裏腹に腕の故障に加え、留学のために3月までにIELTSで6.0以上取らないといけないこと。そして何より大学水泳での目標を達成し目標を見失ったこともあり、ほぼマネージャーとして11月まで過ごしました。
ずっと選手として続けるかも迷っていました。しかし、12月の大会に2週間くらい練習し参加した時にベストを出す後輩たちに比べ当たり前ですが何も出来ませんでした。自分の無力さを感じさせられました。
その後輩たちの頑張りをみて、結果でも引っ張りたいと思い、また真剣に練習を始めました。
腕の治療も真面目に行い、ウエイトもし、夏の試合でチームに貢献したい一心で練習も頑張りました。
今年の夏55秒を出すつもりで練習しました。
しかし今年は良い結果を残すことができず、チームにも貢献することができませんでした。中四国インカレでの総合優勝も僕以外のみんなの頑張りのおかげだし、全国公でも思い描いていた結果とは程遠い結果でした。
悔しさもありましたが、去年の秋頑張れなかった代償がきたのだと思います。今のところ素直に結果を受け止めることができています。
そして残す大会はインカレと国スポだけになりました。自分は「楽しかった」や「いい思い出だった」みたいな綺麗事で終わらず、選手として目に見える結果を残して終わらせたい!
インカレではもちろん2種目ベスト、B決勝以上進出を目標に明日から戦って来ます。
今年チームに貢献出来なかった分のお返しはできないですが、せめていいところを見せて終わりたいですね。しかも1バックは鶴丸もいます。後輩の成長嬉しいもんですね😊レース見てから召集所いくから期待してるぞ!
全国公で同じレースにチームメイトいるの嬉しかったな〜
そして引退試合の国スポではメリレで決勝進出を狙っています。2つ上でいっぱいお世話になったしいつまでも少年みたいなこうへいくん、昔から速すぎる後輩のりょういとスーパー助っ人の内山さんという強すぎるメンバーで自分は足を引っ張る側ですが、足を引っ張りすぎないように全力を尽くして来ます!!
と以上自分語りでした。
ここまで振り返ってみると、水泳を通じて本当にたくさんの人と出会い、多くの経験をさせてもらいました。大学で水泳をすることを何度も後悔したけれど、今は「大学で水泳を続けて良かった」と心から思えます。
支えてくださった方々、応援してくださった方々、本当にありがとうございました。
最後の最後まで、タッチまで全力で泳ぎ切ります。
そして明日の岡山大学からの出場者は村上・竹内・僕の4年生3人だけです。
3人で絶対にベスト出すよ!🔥
苦手な200やけどトップバッター任せといて?
いい流れ作ります。
以上で失礼します。