とある作家が言っていた。
『ある日、新しい曲を聴こうと思い、全くのバラバラにCDを5枚購入した。暫く後になってから気づいたのだが、よく見てみると五枚とも同じプロデューサーが手がけていた。これをただの偶然だと言う人もいるが、これを私の作品では運命ととる。啓示ととるのだ。』と。

自分のまわりでもあると思う。偶然の大小確率関係なく。全て偶然だと片付けてしまうのは面白みに欠けるのだと思う。

そう、今まで出会った人、これからの人。現在までの事象、未来これからの事象。 これらを運命、啓示と受け止め、過程理由を考えて行動すれば上の作家の作品の様に面白いものになるのではないか?

数年前に読んだ本の一部を今ふと思い出し、これに記している自分。その事に啓示を感じざる負えない。

終。
バイト先に検便
学校に検尿
学校にサークル申請
ガス、水道、電気、タイヤの支払い
月曜日はこれに全て当てます

だらしねぇ

勿論、彼女と遊んだらねグッド!
今日も彼女と余り連絡を取らなかった。
外出、ゲームのどちらか必ずやってる自分どうなのか。
多分一般人なら夜、空いた時間にはテレビ見たり、PCや読書等していて、その時間に恋人とコミュニケーションを行っているのだろう。
今日だって会いに行けた。不可能じゃなかった。様々な要素が不安であっただけで、要は自らのヤル気の問題だった。
昼過ぎに学校が終り、車屋で車の管理、気持ち良くなったのでそのままドライブ。家に帰ってからは、飯。そしてゲーム。

寝る頃、漸くこうやって省みる。この様。


床の夜の
終日省み
枕元
君想い出す
いつかの日かな


ありがとうございました。