着物好きの私としては、なぜ皇室の正装は和服でなく、燕尾服やローブモンタントなどの洋装なのか常々不思議に思っていたが、調べてみれば明治維新期に「服制改革の内勅」(明治4年9月)が出されて以来正式に洋装が正装となったらしい。勲章を付けられないなどが理由とあるが、そんなもん理由にならんでしょ。<内勅>というからには明治天皇が皇族、華族方に対して出されたもの。つまり明治以来の決まり事なのだ。しかしそれには、維新政府の思惑があった。

 

刑部芳則氏(日本大学商学部教授・日本史学者)によれば、「明治維新期の「洋服・散髪・脱刀」について、政府内で薩長藩閥を中心とする藩士出身の官僚たちが主導権を握るために必要不可欠であった」(明治聖徳記念学会紀要〔復刊第 55 号〕平成30年11月)とし、「天皇よりも官僚たちの洋装化が先行」し、「その上で天皇の洋装化が不可欠となった」、「さらに皇后のそれも必要視された」、また「それらが宮中内に限られたものではなく、時間をかけながら全国の男女の洋装化に影響を与えた」と述べている。

 

つまり武士の特権である髷や帯刀を剥奪し薩長の官僚が主導権を握るために、もう日本国内全員等しく洋装でいきまっしょ!となり、まずは官僚、皇室華族から模範を示さんとしてこうなったというわけである。

 

ちなみに廃仏毀釈なども良い例で、『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏はダイヤモンド・オンラインの中で廃仏毀釈を「日本史の一大汚点」とし、「薩長新政権が惹き起こした「廃仏毀釈」というムーブメントは、歴史上例をみない醜い日本文化の破壊活動であった。」と述べている。(DIAMOND online 2023.11.30)また同時期には日本古来の太陰太陽暦も現在のグレゴリオ暦に変えられた。

 

着物、仏教、暦…明治維新政府によって日本の伝統文化の真髄が次々と破壊されたのである。今で言えばグレートリセットであり、ほとんどテロ組織である。あれから150年経って、和暦はほぼ完全に駆逐されてしまったが、寺や着物文化は細々と残った。残ったけど今や着物産業は虫の息で、多くの産地や職人が次々と廃業しているのもまた現実。

 

私が住んでいる地域は薩長軍に対して最後まで抵抗した藩なので、偶然私が今ここに住んででこんな事を考えているのも何かの縁かもしれない。今、日本の存続が危ぶまれている時代と言われているけれども、はるか150年も前の明治維新の時すでに、この流れは始まっていた。まさか150年後の日本がこんなふうになるとは薩長藩士も予測していなかったと思うが、彼らを海外の勢力が強力にバックアップしていたことはよく知られている。詳しくは「明治維新という名の秘密結社」(苫米地英人/ビジネス社)をお読みくだされ。