敷島の大和の国は 言霊の幸わふ国ぞ ま幸くありこそ

万葉集にある、柿本人麻呂が詠んだとされる歌。

 

この頃の大和国は奈良県あたりのことで、敷島とは桜井市あたりのことを指していたらしい。

つまり、敷島の大和の国とは、現在の奈良県桜井市あたりとも読み替えられる。

全然情緒がなくなっちゃうけど。

 

1300年ほど前の、奈良の歌人の生活がどんなだったか想像もつかないけど

冬はいかにも寒そうだなぁと思う。

寒さで死ぬ人も多かったんじゃないだろうか。

今みたいに暖房設備なんかなかったんだもの。

綿を着物に入れられる裕福な人もそんなにいなかったんじゃないか。

あの頃の綿は、真綿(絹)だったのかなあ。

綿花なんて大和の国にあったんだろうか。

 

今私は石油ファンヒーターで暖を取り、

就寝準備で薪ストーブも炊いている。

W暖房ってわけね、ルパン。

その通りだよ~フジコちゃん、非脱炭素的生活でごめんなさい。

 

寝る前に薪を1~2本くべると、そこからしばらく火は燃えていて

皆が寝静まり火が消えた後も、輻射熱でほの暖かいのです。

1階で寝る柴犬が、絶対に毛布をかけないのでこうしてます。

 

犬のためにストーブを焚いているなんて

柿本人麻呂から見たら、どんなに贅沢な暮らしでしょう。

つまり私達は、敷島の大和の国の人たちとはすでに生活様式を大きく異にしている。

凍え死にしそうな大和の国で

だからこそ言霊が幸わっていたのかもしれないね。

今よりもっと生きるのが困難で、

だから自分の命や死んだ者の魂にとても敏感だった。

今の私達は言霊に助けられなくとも、ストーブで生かされているのです。

しばしば漫然と。

そしてどっちを選ぶかと問われたら、多くの人が”今”と答えるはず。

 

何かを手に入れれば、何かは失うわけで。

あの頃は良かったと言っても、

あの頃は淘汰されて生き長らえる人の数は今よりずっと少なかった。

今を手に入れるために過去を捨てて人は生きている。

だから、嘆かなくてもいいんだよ。

 

でも、はるか遠く幾十もの世代を繰り越した記憶の欠片はまだ私達のDNAに残っていて

敷島の。大和の国は。言霊の。幸わふ国ぞ。

という語感の中にその欠片を見出してしまうことがある。

失ってしまったものはいつも美しいのです。