【優しさ】って大事ですよね。
誰もが皆、優しくされたい!そして誰かに優しくしたい!って思っていると思います。
どんなにひねくれていても、可哀想な動物、自分より弱くて可愛くて、自分に敵意を見出さない動物を、大切にしている人は多いと思います。
そして、愛されていないと、自己愛しか発揮できずにいて苦しいのではありませんか?
誰かに愛されているのに、優しくされているのに、相手に感謝できないで、自分の日常に文句ばかり言っていた患者さんを、私は病院に入院していたころ知っています。
私はこの患者さんに、「愛されたいなら愛せばいいじゃん!」って言った覚えがあります。
でもこの患者さんは自己憐憫しかできず、自分より恵まれている人を憎んでいて、恨んでいて、とても苦しそうに感じられました。
そして、誰かのために優しくできていないし、本当は近くにいる看護師さんに優しくされているのに気が付いていないのです。
ただただひたすら自分の人生を悲観し続けて、「愛されたい!優しくされたい!」ともがいていました。
私は、今から始めてみたら?と提案しました。
過去には戻れないのだから今を大切にしたらどうか問いかけました。
仲良くしたい看護師さんに「頑張ったね♪」って褒められたい、優しくされたい!って簡単に素直に単純になれば良いのではないかと思って止まないのです。看護師さんも自分を好きでいてくれたら嬉しくなるものです。
精神的に与える喜び、博愛主義、自己愛が成長した利他愛を大事にすれば、おのずと幸せが下りてくるように思えて仕方ありません。とにかく【愛されたければ愛せばいい】のです。
そう想えないほど、劣悪な環境(特に家族環境)で育って、エネルギーの発散の仕方が分からず、自己愛にまみれていることでしか幸せを感じられないなんて可哀想すぎます。
でも、結局最後は自分で自分を育てていって自我を築いていくしかないのです。
いつまでも子供ではいられないのです。
エネルギーの法則:
誰かに優しくされると、自分も他の誰かに優しくしたい!と思うものです。そして誰かに優しくすると相手から優しくされます。
これを私は【エナジーフロー】と呼びます。
このエナジーフローは目には映りません。心でしか感じ取れません。物質ではないからです。
人間がそれぞれ持つ波動が相手にどう伝わるかが肝心です。
愛せばいい!っと思ってひたすら愛情のボールを無茶苦茶な方向に投げてくる人がいます。
愛してあげたい!優しくしたい!と思う対象が器用に愛情のボールをキャッチできないこともろくに考えず、ひたすら自分の気持ちをぶつけてくる人は私から見ると未熟だなと思ってしまいます。
どんな愛情のボールでもやはり、愛情なのですからとても大事です。(愛情を出さず意地悪をしている人は論外ですから....)
だからこそ、愛情のボールを上手く受け取れないと、受け手が罪悪感を感じて余計に辛いのです。
優しさは、優しくされた側が、「優しいな」と感じて初めて成り立つものなんです。
押しつけがましい優しさは、優しくしていて自分が気持ちよくなっているだけなんです。
そこのところをちゃんと分かって頂きたいのです。
それと最後に一言。
自己肯定感と感謝の気持ちがとても大事なんです。
この二つがないと優しさも色あせてしまうだけです。
適度な自己愛も、限りの無い無限の利他愛も両方大事です。
最後までお読みいただきありがとうございました。