●とある女性お笑いピン芸人の
「どうでもいいですよ」
●とあるジャージ姿のコンビ芸人の
「なんでだろう?」
●とある裸ピン芸人の
「そんなの関係ねぇ」
流行とともに無意識に呟いてきたこれらの言葉。
そして、呟き倒していつのまに風化してしまいそうなこれらの言葉。
実は、幾度となくピンチを救ってくれた、個人的な処世訓でもある。
たとえば、前述の「どうでもいいですよ」。
これは、使用方法を誤らなければ素晴らしくディフェンス能力にすぐれた言葉だとワタクシは思
っている。決して諦めではなく防衛策という意味で。
近頃、あまりにも人サマの懐にグワワワワッと簡単に、情報や人そのものが乱入しすぎていると
個人的に感じている。
見たもの聞いたこと、全部必要で正しいという考え方。
こうやって人は御するのかというある種の洗脳といえなくもない。
真面目な人こそ、それを身体の真正面からすべて受け入れて、最終的には自分自身へのプレッ
シャー(たとえば、こんなに人はすごいのに、どうして私はできないのだろう?とか、こんなセミナー
があるから絶対参加しなくちゃ!など)に変換させてしまっている・・・気がする。
取捨選択の余地を自ら失わせているというか。
必要外(かもしれないこと)にエネルギーを注いでいるとか。
価値の’価値’とは何ぞや?を考える隙すら与えないというか。
「どうでもよくないこと」が多い人というのは、正直しんどいのではないだろうか?
なんだか破裂しそうですわ・・・
そんなときに「どうでもいいですよ」と呟き、いったん自己フィルターにかけてみることを推奨してみ
る。
そうすると「どうでもいいこと」と「どうでもよくないこと」がほんの少しでもすみ分けできる気がする。
つまり本当に「どうでもよくないこと」というのは「どうでもいいこと」を捨て去った残り物なのである。
説得力にやや欠ける力ワザではあるが「近頃、ちょっと溢れちゃったー」と思う人には有効な手段
ではないか?
偶然の産物か否か・・・は知る由もない。
しかし、こうやってお笑い芸人の身体と芸人魂と芸人生命そのものを賭けた(て、いるだろう)おなじ
みのキャッチーな言葉に、無意識に救済されている人間は少なくともこの世に一人はいるというこ
とである。
彼ら彼女らが意としている笑いのツボを一切無視した解釈ではあるが。
きっと「ガチョーン!」でさえも、捉え方によっては処世訓になるはずである。
唯一無二の忘れられない言葉に、時代などもはや関係ない。