海
海の家 (浜茶屋)の大家さんが笑顔で
声をかけて来た
挨拶程度に世間話を積み重ねた結果
大家さんはよく 浜茶屋に顔を出しては
畑で採れた野菜など持ってきてくれたりして
気さくに話しかけてくれる
今年で83歳 髪の色こそは真っ白だが
背筋も真っ直ぐ延びていて
浜辺もシャキシャキ歩いてる
眼も輝きを失っていない
聞けば 大家さん
ずいぶん昔から
一昨年まで浜茶屋を自ら運営していたらしく
親子三世代にわたり
来てくれるお客もいるらしい
「じいさん死んでからも 一人でも
浜茶屋やるつもりだったんだが、」
流石にしんどいのだろう 元気そうに見えても
自分の母親より歳上なのだし
気力の問題もあるだろう
「馬鹿息子が 酒と博打と女に狂って、」
え、そっちなの
雨降りが続く為 浜茶屋にはお客が来ない
大家さんの話しは続く
「史郎は子供の頃真面目な良い子だったんだが、私が甘やかし過ぎたんだね、」
息子さん(史郎さん)は今年60歳になるという
大家さんの実家は代々
この辺りでは大きい旅館を経営していたらしく
大家さん自身は苦労知らずに育ったとのこと
父親(大家さんの旦那)は
中学校の教師をしていて当然のように教育熱心
息子に対してかなり厳しかったようで、
母親としては 自然にバランスをとるように
裏で甘やかしていたそうだ
史郎 少年
海へ行き 山へ行き
遊び場所には困らなかったのだか、
田舎町で刺激がない
その当時では珍しく三人家族
旅館の敷地に家を建て暮らしていた
一人っ子の寂しさからか 毎日旅館に顔を出し
お客に話しかけていた
小学校の後半には
旅館のお客が来る度に史郎が愛想良く出迎え
荷物を運んだり 世話を焼く
すると 気を良くしたお客が
「 偉いねぇ、」
などと誉めながら小遣いをくれる
史郎 一度は 「 仕事ですんで、」
と子供のくせに丁寧に断りを入れ
謙虚を出し
「いやいや 気持ちだから、」
と言われるのをじっと待っている
何年もやっているうちに
小遣いをくれるお客の見極めが
出来るようになり
客を喜ばす気遣いが出来るようにもなった
良いタイミングで 酒を用意
地物のつまみをすっと出す
お客の着ている服をさりげなく誉め
釣りに行くとなれば 穴場を案内する
史郎は漁師町育ちとは思えない程 色白で
愛想が良く 話し方も 何処か品があった
中学を卒業の頃には 番頭と言って良い程
旅館に来たお客は 史郎を 重宝したし
女将からも 頼られていたので
高校へ行くと言い出した時には
家族会議が朝にまで及んだ
父親は大学までとは言わないが、
高校は行かせると 譲らない
史郎は成績も優秀だったので 高校は選べるのだ
母としては 稼業を継いでもらいたい女将の意見
(史郎にとってはおばあちゃん)
を気にしている
結果として 電車で1時間程の高校へ通うことに
高校のある街は 史郎の育った漁師町とは
全く違い
人が多く 街は栄えていた
昔はお城があった名残なのか 城下町と呼ばれ
様々なお店や 商店がある
学校では 部活には入らず すぐに家に帰る
電車も遅くまで走っていないのもあるが、
旅館の仕事がとにかく楽しかったのだった
子供の頃から大人相手に
商売をしてきたせいなのか
高校では同級生とは話しが合わない
都会から来るお客と話ししているほうが
史郎にとっては魅力的だったのだろう
城下町の賑わいも 史郎の中では まだまだ田舎
旅館のお客から聞いていた都会は壮大な
イメージだけが膨らむいっぽうなのだ
「予約してないけど 泊まれるかな?」
旅館のお客の中には色々な人がいる
夏だというのに長袖のワイシャツを着ている
パリッとノリの効いたスラックス
初老の紳士が立っている
言葉こそは穏やかだが 目が笑っていない
史郎はすぐに気がつく
様々な人を見てきたのだ
服装 や 言葉尻 ふとした仕草などから
どんな仕事をしているのかなど検討がつく
その筋の人である しかも上の方だ
いつもなら女将が 判断するのだが
この時は たまたま留守
史郎はにこやかに
「あまり良い部屋は残っていないのですが、」
相手を気遣い 断るにも 細心の注意を払う
「かまわない 、予約なしなのだから 」
こうなるともう受け入れるしかない
史郎は 顔色ひとつ変えず 奥へと通した
「後から連れが三人程くるが 泊まるのは私一人だ お代は4人分取ってもかまわない 」
男は佐伯と名乗り まだ高校生の史郎に対しても 小僧扱いはせず 紳士的
スッと 小封筒に入れた心付けを
史郎の手に握らす
断るタイミングもない
佐伯「これは 習わしだから 」
と少し笑顔
礼を言って 部屋を後にする
今までもらった事のない額が封筒に入っていた
へたすると宿代に相当する
史郎 今までに出逢った事のない
男の 器量に少し憧れを覚えた