3月11日。

東日本大震災から丸3年。



3月9日(初音ミクの日ww)に開催された

「さでぃすてぃっく☆ないと」も



3.11、日本を襲った大震災で

被災者となった方々の生活の復興

心の復興を祈念しての

チャリティーライブという趣旨のイベントでした。




ライブの時に、ブルーサーファーズさんが言われていた。

「なんとか、かじりついて今日まで生きてきた。」

「3年前のあの日、こんなステージに立つとは

 思いもしてなかった」と。




思いもかけないことが起こってしまったあの日。

あまりにも突然に、家族や

大切な人を急に亡くしてしまった人たちの

深い深い悲しみは、いかばかりか…



私は父が亡くなったとき、

亡骸が、きれいな状態であって

最後、まだ、温かい状態のときに

駆けつけることができて、



好きな背広を着せてあげられて

好きな帽子をかぶせてあげられて

いつも着ていたコートをかけてあげられて


お棺の中に、半眼半口(はんがんはんく)の

穏やかな表情の顔をみることができて

恵まれてるなと あとで思った。



震災で、津波に合った人は

亡骸も見つからず…  という方は多い。



行方が分からず、ずっと、

いつか帰ってくるんじゃ…

と感じてる人もたくさんいるのでは…

と思うと、


私の場合、

とても幸せだよな と思いました。





私は、阪神淡路大震災を経験していますが

あのとき、家族は全員無事だったし、

実家の団地も半壊になりましたが、今も住めています。




家の中は、家具が倒れ、

タンスの引き出しが飛び出し、

食器棚も倒れ、食器が飛び出し、ガラスも割れて

浴槽に残っていた水がほとんど外に溢れ出て

アップライトピアノも、脚付の飾り棚も

ディズニー映画のように、左右に踊っているように揺れて

とにかく部屋の中は一瞬のうちに

ぐちゃぐちゃになった。

どうなったのか、わからなかったけど、

数十秒後にはわかった。




なんとか玄関のほうに父が行き、

スニーカーをとってきてくれ、

靴を履いて、家の中の、

家具や割れたガラスなど、

瓦礫と化した、

さまざまなものの上を踏みしめ歩いて

やっとの思いで外に出た。





東日本大震災のときは

阪神淡路大震災のことを思い出し

○○○の救援物資が必要だ!

といっているところに必要な物を送ったりした。




近くの私学の小学校に避難しているとき

色んなものを送ってきてもらい

とても助かったからだ。



避難生活は、東日本大震災にあわれた方のことを思うと

全然短い。


でも、そのとき以来、

生きてられてることがすごいな!

幸せやな と思った。




それからは、

やりたいことはやろう!

いつできなくなるかもしれないから。



欲しいものは買おう!

銀行に預けていたって

使わずじまいになるかもしれないから。


なのでそのとき、

結婚する時の為にと貯金していた現金で

ミニクーパーを食パンを買うみたいに買った。

後悔はしなかった。




だって、いつこの世からいなくなるかもしれないし

したい と思った時に必ずしもできるとは限らないし


と思ったからだ。




したいこと、は、しておいたほうがいい。



言っておきたい言葉は

言っておいたほうがいい。

言いたいと思っていた人が

明日もいてくれるとは限らないからだ。




いってらっしゃい!と見送り

「ただいま! おかえり!」

と言えないままになっていまう場合もある。




「ごめん」と言わずに今日を別れ、

今度会った時には謝ろう

明日、謝ろう と思っていて

それきり…… ということもあるからだ。



なんかこんなことを思い出した。




1枚目の画像は、3月11日の夕方の空。



2枚目、3枚目は

数日前の空。








太陽が沈み始める頃、部屋にいて

空を赤く染めて、太陽が

今日の最後の輝きを放つのを感じられたとき

それを記録しておきたい!と思うので写真を撮る。



こんな気持ちになって、

空を仰ぎ見れるなんて幸せだなと思う。




この先も、後悔のないように過ごしたい。


これを読んで下さったあなたも、

今日を悔いのないように過ごしてくださいね。



自分が仮に元気でも

なにかを伝えたい

と思っている相手が

ずっといるとは限らないから。



そんなことを

夕方の空を見て思いました。




すうぃーとらびん・SweetLovin'
橋本スワン美紀