娘の挙式披露宴 | 宵の明星(卵巣がんを受けとめて)

宵の明星(卵巣がんを受けとめて)

2009/2父がすい臓癌3月母が肺癌発覚。二人の看病中同年/11月私に卵巣癌発覚。自分の抗癌剤治療中(TC6回)両親を看取り喪主を務める。2011/3再発TC11回終了。途中カルボアレルギー。2012/10カルボ脱感作+ジェムザール、ハイカムチン、ドキシル、アバスチン治療中


たくさんの人達が大変な思いをしている時に
こんなのんびりした祝福の日を書くこと、ごめんなさい。
でも娘が頑張って私に見せてくれた時間を残しておこうと思います。

9月1日(土曜日
予報では雷雨とされていた日。

私は朝から熱が出て怠く起きました。
でも先生が手を尽くしてくださって熱も怠さも治まり、あとは私が最後まで会場で見ていられること。

病院から横浜へ向けて高速で走っている時に
強い雨がフロントグラスを叩いて驚きました。
それでも無事にこの日を迎えられて良かった。
ただそれだけの想いだった。

教会へはギリギリでついて
控え室で両家のご挨拶となった時
彼のご両親のお顔を見るだけで涙が溢れてしまった。
日取りを何度も変え、ご心配をかけ、
そして娘を受け入れてくださった優しい心に
常に感謝していたから。
お父様もお母様も泣いていた。 
どうぞふつつかな娘ですが末永く娘をよろしくお願いします。とそれしか言えなかった。

それから主人は手を引いて歩く仕事の為に
私も小さな仕事の為にそれぞれの場所へ連れられた。

私が向かったのは教会の泣き部屋と言われる所。
ミサの時に子供が泣いても母親と共に見ていられるように必ず教会には付いているガラス張りの部屋です。
そこで母親が娘のヴェールを下げてあげるのですヴェールダウン。
そこであの子が綺麗になって座っているのを見た途端にまた涙が溢れてしまった。
よく似合ってるよ。幸せになりなさいね。
そういう私に娘も頷きながら泣いて
ママ、私手袋汚せないんだから泣かせないでよ、って2人で泣き笑いをしたっけ。

式は厳かに始まり、やがて主人が娘の手を腕にかけながら歩いて来ました。
1番前にいる私の横を長いドレスとヴェールが赤い絨毯をすべり新郎にその手が渡されて。

指輪の交換やふたりの誓いの言葉、
 そして祝福の言葉を一同で呟いたとき
その言葉に胸が詰まってしまいました。
ああ、あの子にこの全てを伝えたかったのです。そうやってこれから生きていってね。って
伝えたかったの。

式まで終わり新郎が新婦の手を腕にかけて退場する時、私は正面のキリストの像を見上げました。そして隣の枠に思いがけなく青いリボンを腰に巻いたルルドのマリアを見たのです。山手の教会は癌封じで皆が行くお寺と同じく、
全ての難病を治す泉を指し示したルルドのマリアが祀られていたのです。
ああこれも導かれたものなのか、と深い息をつきました。

外に出ると暑いくらいのお天気でね
青空で2人を祝福してくれたよ



披露宴会場ではずっと泣かされました。
ユーミンの曲が常にピアノで弾いてくださり、
入場の時は、やさしさにつつまれたなら、
そして、14番目の月。
私がユーミン好きを知っている人達はみんな泣いてた。
やらないよ。って言ってた手紙は、最後まで居られた私に語られて、会場みんなで泣きました。





皆さんをお見送りの時に、
これからもあの2人を支えてあげてね。って伝えたけどこれが精一杯。みんなずっと長生きして
あの子達と共に幸せにね。そう心で願いました。


そうそう!
去年秋くらいからチクチクしてた娘への
『ブライダルブーケのベッドカバー』がなんとか仕上がってたのでウェルカムボードの下に敷いてくれたようです。ワンコ見えるかな。

いままでのコメント、ありがたく読んでいます。
なかなかお返事ができなくて。
ごめんね。
これから携帯を持てる体力がある時は現状を書いてから、本当に少しづつかえさせてね。
高熱と吐くのがとまらないの。ごめんね。


さてOVCAの申し込みが
9月25日(火)朝10時からだそうです。
下記の幹事ブログを良くお読みになってその日をお待ちになってね。