心境の移ろい | 宵の明星(卵巣がんを受けとめて)

宵の明星(卵巣がんを受けとめて)

2009/2父がすい臓癌3月母が肺癌発覚。二人の看病中同年/11月私に卵巣癌発覚。自分の抗癌剤治療中(TC6回)両親を看取り喪主を務める。2011/3再発TC11回終了。途中カルボアレルギー。2012/10カルボ脱感作+ジェムザール、ハイカムチン、ドキシル、アバスチン治療中


毎年待ちわびるこの花の季節の始まりの頃。

キリストは亡くなって3日目の日曜に復活をし、
シッダールタは4月8日、母親の右脇腹から産まれ
四方に7歩づつ歩いて 
『天上天下唯我独尊』と言いました。

それぞれ『イースター(復活祭)』
『灌仏会かんぶつえ(花祭り)』
という大切な行事として祝っている。
そんな季節でもあるのです。



1月9日に腸が破け緊急手術をして。

私は神様にもう一度命を預けられた代わりに
何を食べても、たとえ水を飲んでも
自分の身体の糧にはならない。という実利のない食欲となりました。
この3年間、下痢と便秘で苦しみ25kg減って
食べること自体が恐怖となっていたものの代わりに、美味しい。と思う喜びを再び与えられました。

そして食べることが好きだった私にその全てを返してくださった代わりに
食べても食べても栄養失調となり、水をどんなに飲んでも脱水となる身体が私に与えられたのです。


長い入院の理由は、お腹に握りこぶしほどの膿が溜まっているのが原因なのか不明ですが、
1月9日から36日後に退院し家に戻っていた10日間で餓死寸前となり、酷い腹痛で救急に来た時には
炎症反応は30となっていました。
ちょうど帰る間際の腫瘍内科の先生が
救急の待合椅子に倒れこむ私を見つけてCTや血液培養、採血等的確な検査と、その結果で即入院を決めてくださったのです。
そうでなければその日、ただの脱水として補水だけで返されていたかもしれない。

それから、私の残された腸では栄養はまるで摂れない。と腫瘍内科や消化器外科の先生方が判断するのは早かった。
いずれ残された腸が少しづつ改善されていくだろうという思いは、諦めた方が落胆が少ないかもしれないね。と執刀した女医さんが悲しそうに優しく諭すように伝えてくれた。


 
高濃度の栄養はすべて血液の中に入れなければ
私は生きてはいけません。
今後は自宅で毎日、点滴で身体に入れることになりました。
どのくらいの栄養をどのくらいの間隔で入れたら良いのかを幾度もの採血等で計っていましたが
結局毎日12時間1リットル必要であろう。
夏はさらに補水も足さなければ外を歩けないかもしれない。と決めて
在宅医療や訪問看護の申し込みに時間がかかっています。
こんなケースはあまりないんだね。
介護ベッドは直ぐに来ることになりました。
ストーマ交換も夫婦で役割分担して、時間もかからずに出来るようになった。

良くなったり、悪くなったり。
熱はいつも37度台。
これくらいなら普通かと思ってしまう日常。
昨日はお腹の膿が出ているところから菌が入ったのか、蜂窩織炎と診断されてまた一歩下がったところなの。




こんな風に書けるようになるなんて、自分でも気持ちが変わってきたんだな。って思う。
毎日が苦しくて。
食べても無駄なこと。
食べるその瞬間に胃や小腸を素通りしてストーマに出てきてしまう噛み砕かれた食べ物。
だけどね。
短い小腸に溜まらずに出てしまうから空腹になる。
そして毎日入れなければ生きてはいけない1リットルの栄養の袋を見上げてね。
私はなんなんだろう。
無駄の塊なんじゃないか。
外は雪が降る寒い頃。


主人や娘が毎日交代で付き添いに来る。
私の気持ちが不安定な事を感じ取っていた時期だったんだろう。
ある時ね、
娘が、ああそうだ、ひな祭りの日だ。
綺麗な容器に入ったプリンを買ってきたの。
ありがとう。
綺麗だね。果物もこんなにたくさん入って。
高かったでしょ。
美味しいね。

美味しいけどもうこんな高いの買ってこないでいいのよ。食べてもママにはなんの栄養にもならない。無駄なお金をあなたが使うことないのよ。
そのとたんに涙がポロポロこぼれて。

娘が少し怒ったように言いました。
ママ、ママはいま美味しいね、って凄く嬉しそうに食べてくれたんだよ。
私はこれがママの栄養になればいいなんて思って買ってきたんじゃないよ。
ママが『美味しいねー』って喜ぶ顔が見たくて
色んなものを選んで持ってくるんだよ。
だから無駄だなんて言わないで。
美味しいものが食べられるようになったのを
良かったね。って本当に思ってるんだよ。
思い出してごらんよ。
トイレにこもって泣いてたのを。


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友人が、ゆみさんが笑ってそこに居てくれる。
そう思うだけでうれしくなるよ。
と言ってくれた。

主人は相変わらずに全力で支えてくれて
時折私のわがままにキレて怒るけど
謝ると許してくれる。
お互いにだ。と言って。

長い入院に遠慮してか、ナースステーションに預けられた一本のガーベラは、未だに悲しみの底にいるであろう友人のご主人からだ。
花言葉は『希望』だね。
そう教えてくれたね。
夫婦で付き合っていた数少ない友人だった。



毎日繰り返して心に留め置いている言葉は
『焦らない』
ただそれだけです。
幸せなことに、ガンは今、おとなしくしている。
勝俣先生がいうには、
薬が効いているどころか効きすぎて、腸に穴があいたようなものです。
心配しないでこちらの治療に専念しましょう。
とおっしゃいました。


桜満開の頃には退院か、一時帰宅をしたいものです。
お弁当をこしらえて、
出かけたい桜の場所があるの。