自己処理場所

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所詮自己処理の世界です。

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なんとなく、テレビを消したら泣いてしまいそうで

誰も居ないリビングで、誰も見ていないテレビの音声を聞いている。

久しぶりにブログに頼ろうと決めた。


今朝から気分がよくない。

朝起きたときからなんとなく憂鬱で、朝一で病院へ向かわなければならないことがわたしの情緒に負荷を齎してしまったのかもしれない。

うーん、なんというか、こういう書き方をしてしまうと自分が可哀想で仕方が無いと訴えているように見えるけれどタイトルの通り、ブログは自己処理のためのひとつのツールです。

自分の気持ちを整理しているので、もし気分がわるいというのであればここから先は読まないで頂きたい。



わたしはどうして泣いてしまいそうなのかを考えてみることにした。


まず第一に大きな不安がひとつある。

これはわたし自身のことではないが、わたしの身近な人の命に関わる問題だ。

最近目に見えてその悪化が進んでいないので尚のこと、どのように進行しているのか、治療法の無い病と闘うための、明確な術を知らないことがすごく不安で、この生活がこれからどう変わってしまうのか、誰かが居なくなってしまうのかを考えると途端に怖くなってしまう。

勿論今わたしが考えても考えなくてもなにも変わらない。漠然とした不安は無駄だと言われたらそれは全てであるが、だからと言って前ばかりを向けるほど気持ちの整理はついていない。


二つ目に自身の将来が未だ定まらないことへの不安。

就職活動といわれるものを行う学年であるが、一般企業への就職ではないので、実習と並行しながらその就職先を厳選していかねばならない。大体見えていた進路が、経験を積んでいる中で最近また曇ってしまった。

就職関連のほかにもやらなければならないことは分かっているが、その優先順位が摑めていない。それができないわけではないと分かっているので、まだ行動にうつしていないだけだと言った方が良い。だれてしまっている自分への嫌悪感がひとつ、とまとめておこう。


三つ目は単純に音楽から離れていること。

歌を歌いたい、ピアノを弾きたい、誰かと音楽を楽しみたい。それに音楽で出会ってきたたくさんの仲間たちと最近会うことができていないことがストレスになっている。

わたしは勿論音楽が好きで、仲間と音楽を共有しながら生きてきた人間だと自負しているが、それ以上に音楽が好きというだけで集まったたくさんの仲間たちとつくってきたものが本当に大切で、あの空間が雰囲気が自身の実感以上に大切なものになっていたことに最近気がついている。

誰かも言っていたけれど、自分が音楽を優先していられない今、音楽を手にして生きている人、其れを楽しんでいる人、ライブハウスの映像さえも嫉妬の対象になっているような気がする。

ただそこで演奏できるのが当たり前だった、ただそこで楽しんでいることが当たり前だった時代があるからこそ、今の自分に物足りなさを感じてしまっている。

そして歌は歌わないと確実に下手になり、歌い続けていれば着実に力がつくことも知っている。そこから来る焦りに似た感情があるのかもしれない。



なんとなくまとめただけだけれどすこし落ち着いた。

わたしの人生はわたしのものだし、わたしは何でもできると思っている。

そう思っていなければいつでも自分に打ち勝つことが出来ないから、そう生きてきた。



弱い犬ほどよく吠えるというが、まさしくその典型例なのだと思う。