“おれは、権利もしくは力づくの、予見を許さぬ論理にもとづく、ある「戦い」をやろうと夢みている。”
—アルチュール ランボー/
疎外がエゴと全てを夢にする壁を生み
スポーツが人間を露呈する
この世界を生き抜くには
下手に逆らわない女の知恵と玉砕する男の癖が必要だ
それぞれズレ合った時間軸でお互いを必要とさせる仕組みの中でまともを守る難しさ
例えばプロレスのように
ひとつ間違えば大惨事になりかねない
技の掛け合いで舞台に上がる事を認められた
技量の相手信じて技と技のキャッチボールをする
仕事とは何かというような世界と
現在のボクシングのように
地盤沈下する構造のように見える
もぎ取り合いの世界
この世の問題は人が人に対応するから起こるからして、理想のシステムとして共通の現実に皆が微睡むよう大衆がフィクションの肉付けをする為の影として育まれるようなマトリックスにおいてモルモットにならざるを得なかった為体とその前提そのものに対する懐疑としてのリベラル
言葉が矛盾を生み誑かし
自意識の闇から出られず
頭が正常な人間なら
死後の我が魂案じて宗教せずにはいられまい
こうして正義を否定した同じ連中が白日の下に大義を求め始めるのである
長く繰り返される階段が
月明かりの下
歪なうねりをあげる鉄馬の音で
喉を鳴らす狼になった時
その乳を飲みながら
戦いの神に感謝をし
血の滲む正義の建国をし
正義を交換しなかった剣闘士として
円形闘技場でその血を再生する
フロイド メイウェザー ジュニア氏がボクシングを引退しているにも関わらず、ユーチューバーの中でもお下劣な部類に入るチューバーとの対戦がボクシング界の非難にさらされているように、ある意味でボクシングの正当後継者的な位置にいるのが氏である。
このカードを発表するであろうと噂されるDAZNがこういう事に踏み切ったであろう理由にはボクシングビジネスの難しさというものが見て取れる。
DAZNは各国の不遇なり何なり、実力のある選手を多く契約して淀みなくボクシングを運行していて、ボクシングファンとしては夢のような話なのだが、ユーチューバー対決や今回のようなカードを発表する?事の裏には投資の失敗があるのだろう。
DAZNとGBPを訴えていたカネロ側の弁護士の手続きミスで一旦事は空白期間を迎えているが、カネロは前二者の間の契約を知らされていない事を明言していて、今回の訴訟はむしろカネロ自身がDAZNと直接対話するための手段だったという意味が大きいはず。
DAZNは少しのビルドアップの後直ぐにでもカネロ対ゴロフキンというプレミアム試合を組み、スターを自興行内で再誕させたかったが、カネロがゴロフキンを嫌っていたりGBPが約束を引き延ばしにし続けている事で計画が御破算になってしまう事に対する怒りの表明が総合格闘技やユーチューブという無分別なポプュリズム的プレミアム設定なのだろう。
DAZNが巨大な資本を持つ新興のベンチャーだとして、この海にはそれこそ各分野の古参でDAZNが何をするにしても引き抜く人材達を育て保有している他ネットワークや組織がある。ファイトスポーツでもUFCやPBC。自分の状況と対抗する相手の全てを考慮しての最も合理的な手が今回のプレミアム設定にしろメイウェザーやチューバーの起用なのだろう。
この難しいファイトゲーム、ハートビジネスの世界にどうも気を引かれる小生がボクシングは科学か?シリーズで考察したパウンドフォーパウンドと階級制の大まかな歴史から抽出した「おもい」をざっくり言えばボクシングとは何か?である。
要は、貴族が決闘の代理として腕の立つものを雇う事の名残りがボクシングの前身の1つだとして、その決闘自体にローマの文化を足してビジネスにし、どうしても存在する体格の違いから最低限の大小の分別を行い、それが戦いのルールと共に科学のように淘汰と進化を繰り返し、そのより的確な追求の為、つまり、戦いの科学のための公正な装置設定がボクシングなわけである。
こうなってくると、例えば現在のように筋肉量を増やして脂肪を無くし、八割が水分の肉体からスポンジ式に減量する事で明らかに体格や質量的に適正階級に該当しないという身体作りがほぼ全てである方式がボクシング技術そのものとは殆ど関係がない状況は本質的に近代ボクシングそのものと対立するのである。しかし、その邪道が近代ボクシングだというのが現在の認識というパラドックスが成立するが、神秘的である。この神秘はリベラル的に階級人気の平等化への訴えから中心批判をするという怒りを愛し、哀しみを尊重し、痛みを恐れる構造をとっている。
この方式だと、最大筋力やその瞬発力に持久力という事の配合や作り方という肉体作り主義なので、その時点でヘビー級とその他の以重量級に存在意義を譲る形になり、軽量級の価値は失われる事になる。これもパラドックスである。
スポーツも政治や芸能のように追従者をつくりだすのは出来るがファンをつくるという難題はテクノロジーを以ってしても困難で、逆にその有機的なファンや選手の発生というのは中々面白い事である。
おまけ
