道具、機械、技術。
各自限界以下での頭打ちにもおもえる競争というリスク管理の空間で再現されようとする成功や奇跡。
「俺は誰だ?」
全くわからない。
しかしピンと来たのは、「言うなれば自然は生命の創造主であり、生命は機械の創造主と言えるでしょう。そこには確固とした主従関係があり、侵しがたい序列があります。しかし近年はヒトが自然を越えようとし、機械がヒトを越えようとするレボリューションが起こっています。そうした中で生命の存在意義が揺らいでいると言えるでしょう。生命とは解釈次第、その人によって全く変わります。これを一律に定義することははっきり言って不可能でしょう。考えている間に人生が終わってしまいます。」という文章の中にある、自然、生命、機械の序列という既成概念と機械的革新によって波紋がもたらされる存在意義、人と解釈、考えている間に終わる生、というキーワードである。
つまり
実存において人の生とはその存在に本質を持たない影のようなものであり、シェイクスピア流に言えば歩き回る影法師、俺は誰かという問いにしてもつまり存在と実存と言うことがあり、そこに横たわっているのが時間という名の河という問題である。我々影達の実存を支配すべき神道的精神も仏教的なニヒリズムか無とかいう胡散臭い概念によって弱められ非生産的或いは現状維持的、又はどこ迄も要領的な本質を備え革新の先の安寧を求める盲目的な流れの本質に据わっているようにおもえる。時間という概念、生命という実存、これらの存在に絶え間なく繰り返えされる死と恐怖そして現実。
全くわからない。
そういう時は「俺は誰だ?」と
記憶喪失なガリバーのようになるのでなく、
「俺は誰だ!」と上からいくのがベストな風に思われる。
たとえ「俺は誰か?」と本質的な問いを小人達にガリバーが聞いたとしても、わかりませんか不適当か実存的な答えしか帰ってこない。しかし、「俺は誰だ!」と王者の気迫で問えばきっと良い答えが返ってくるもの。そして世の中その方がちゃんと回るのである。
何故
己が何者かを問うのか?
出典:
ベナビデス対レミュー
初回から止めた方が良い内容が続いて3回ベナビデスのTKO勝利。
メイウェザーがエキシビションで
同じ45歳の元無敗ボクサーと対戦。
ダウンも奪いやりたい放題だったようだが、
エキシビションなので勝敗はない。
またエキシビションを計画しているそうで
次はもっと骨のある相手なのだろうが
LPやった時点でサイズも超越してるので
次はどんなのが来るのか。
おまけ
