11月8日、今日は母の命日でした

主人は今朝から出張に出たし、娘も息子も大学なので、そして兄は山形なので、私が1人でお墓まいりして来ました

昨夜、関節が痛く、寒い、寒いとベッドに入り、朝起きたら頭がガンガン

でも朝6時半に出て羽田まで主人を送り、一旦帰ってゆっくり朝ごはんを食べて、頭痛鎮痛剤を飲みました


4年前、もう4年です

元の実家へ行く途中にお墓があります  

4年前はこの道を、実家へ、病院へ、そして時には老健へ、通いました

元の、というのは処分したからです
 
もう住んでいた家はありません

でもそこにも行って見て来ました


当時のFBを見ても当時の大変さが思い出されます

20時の面会終了までいて帰ることも多く、そこから40km運転して帰り、待っている子たちにご飯を作る日々

ダイニングの床で行き倒れのように寝ていたことも何度かあります

それよりも帰りに居眠り運転をしたこともなんどもあります

怖いので帰りは横浜新道や第三京浜は使わず一般道を帰りましたが、赤信号で止まるわずかな時間に目をつぶることもありました

あまりに瞼が開けてられない時は、帰る途中で車を止めて仮眠したともあります

怒涛の日々だったと、まぁそれも思い出でしょうか

してあげられることはしたと思うけれど、それでも、あーすればよかった、こーすればよかった、と思うこともたくさんあります

ご主人が居なくて3人子供居るのに、お父さんとお母さん同時に2人だったからね、1人でよく頑張ったわよ、とお友達にも実家のご近所さんにも言って頂いて、心が落ち着いたこともあります

幸いにも私は半年、短い間でした

もっといろんな話をすればよかった、それは心残りです