多分現実は至って冷静。何事もなく去っていくし、みなそう努めている。そう願っているし。そうあるものだと思って当然だと思う。


なんら反対意見はない。


ただ自分自身この流れるときの中でどれほど存在意義を示しているのか見えない。きっとそれは明日も生きているかという問いに似ているだろう。何がどうなるかわからないし、何が偶然で何が必然かも分からないこの世界でこの問いの答えに辿り着くことは難しい。


この流れにうまく乗りいずこかに辿り着くことが正しいのか

それともこの流れに立ち向かい逆らうことで存在意義を見出すのか


それすらも分からない。

本音で言えば、社会に自分が必要とされているのかという疑問が生まれる。


事態はそんなに暗くはない。


自分自身働きたい思いだし、きっかけさえあればどんな仕事にもチャレンジしてみたいと思っている。

いやむしろやってみたい仕事や挑戦したいフィールドが多すぎて定まっていないから実にならないといった言い方の方が正しいだろうか。


多分ね、世間の求職者はそんなに贅沢ではない。自分の出来ること、やりたいことはこれだと絞ってそれに見合った会社にアプローチをかけていくそんな感じだと思う。


でも自分自身を見つめて気付くと俺はそうではない。

やりたいこともあるし、なりたい職業だってある、やってみたい仕事だってあれば、目指す将来像だってある。


行ってみれば辿り着く未来はひとつなんだろうけど、俺は入り口で迷っているような状態だろうか。

たぶん、どの入口も自分で見つけた入口なんだけど、その入口の扉を開ける鍵を手に入れていない。

チャンスという、内定という名の鍵をもらっていないという・・・


たとえばそれが就職試験を受けて鍵を得るべきなのか

たとえばそれがやはり誰かのコネだとかつながりを経て実現するのが近道の鍵なのか

たとえばそれがバイトだとか一から始めるべき鍵なのか


それすら分からない。。。。


このジレンマから解き放たれるはいつなのか。大変もどかしい。逆にやりたいことを多く持っていることの方が罪なのだろうか。それを社会は認めないのだろうか。


夢は実現しないから夢なのだろうか。


自分がそうではないことの証となれる日は来るのだろうか。。。。


時は無情にも過ぎて行くし、友人や世間の目など全く意識しないといえば嘘になる。

確かに真を見極め自分の進むべき道に明かりを灯し前を向いて進んでいきたい。


今は今しかない。ただ出来ることをやろう。自分の方法で。自分の考えで。

すぐに結果が出なくても、そうしているうちにわかるだろう。

俺にとって流れに乗ることが大切なのか流れに立ち向かっていくことが大切なのか。


http://jp.youtube.com/watch?v=8BsOSD9F2Yw
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http://jp.youtube.com/watch?v=g3jl83CwmzE