7月21日
次の電車に乗れば18:30にディンケルスビュールに着くしちょうどいいかも。
なんたってまだ宿もないし。
てなことであと2時間。
あれ?そういえば。。。ココ世界遺産が。。。
そう!!!
レジデンツResidenz
この宮殿、
ヨーロッパを代表するバロック様式の建築で、
南ドイツで最も美しいとされてる宮殿。
しかも
中世ヴュルツブルク、歴代司教の宮殿なんです。
王様とかじゃないんです!
まぁ、司教っていっても領主司教だからね。ダブルだからね。
しかもこの頃のカトリック、聖職者たちの権力って半端なかったからね。
キリストの教えはどこいったんだってくらい贅沢してただろうし。
もう自分たちは神に近いって勘違いしちゃうくらい、
特に西ヨーロッパのカトリックは勢いのってたから。
この宮殿が造られたのは18世紀。
13世紀からそれまで司教さんたちは街の中心からライン川を渡って丘の上、
マリエンベルク要塞に住んでたのね。お城を兼ねた要塞。
マリエンベルク要塞Festung Marienberg
領主司教って
政治的にも宗教的にも権力者だからいろいろ心配があったんだろうね。
宗教改革真っただ中。
実際16世紀、農民たちの暴動があったんだよね。ドイツ農民戦争。
この街も農民軍団に占領されて、
マリエンブルク要塞も囲まれちゃうんだけど、
この要塞、
13世紀に領主司教が住み始めてから市民たちの抵抗を押しのけて、
更に頑丈に更に立派に増改築を繰り返して増強されてます。
そのおかげ(?)で農民戦争での籠城戦に耐え抜いて農民たちを殲滅。
農民たちに加担したヴュルツブルク市民たちにも厳しく報復。
拷問したり裁判で断罪したり。。。
その中には前の市長で彫刻家のティルマン・リューメンシュナイダーもいたとか。
現在ではドイツ最大の彫刻家と評価されてる人。
そんで元市長として農民たちに加担したとされ、拷問にあって腕を砕かれたとか。。。
ちなみに彼の作品はこの要塞の中の博物館に展示されてます。
自分の腕を砕いた領主司教が住んでいたこの要塞の中に。
。。。。。
あれ?
なんかレジデンスの話から遠く離れちゃったけど(^▽^;)笑
まぁ、とにかく領主司教たちの18世紀からのおうちがこっち。
んでもって自慢が
階段の間Treppenhaus
この天井画(*゜▽゜ノノ゛☆
世界で一番大きいフレスコ1枚画!!面積600㎡!!
18世紀、イタリアを代表するベネツィアのフレスコ画家・ティエポロ作。
でもこのフレスコ画ももちろんすごいんだけど、
つまりはこのフレスコ画の分だけ吹き抜けになってるワケですよ。
当時こんなだだっ広い吹き抜けは常識外れだったんだって。
「これは絶対に設計ミスだ。」
「絶対に崩れるに決まってる。」
と悪口をたたかれながらも
「頑丈さには自信があるんだ!
砲弾を撃ち込まれても大丈夫ヾ(。`Д´。)ノ!!!」
と強気発言。
第二次世界大戦時。
イギリス軍からの空襲を受けたヴュルツブルク。
なんとその爆撃に見事耐え抜いたのがこの『階段の間』。
他の部屋はほとんど見事に爆撃受けたけどね。
隣の部屋とか。
だからこその奇跡
でも実はあと2部屋、爆撃をまぬがれた部屋があるのです。
白の間Weisser Saal
まさに!!って感じの白い部屋。
漆喰彫刻がレースみたいに綺麗な部屋。
手がけたのが彫刻家のアントニオ・ボッシという人。
しかも!!
「今度マリアテレジア様が来るからそれまでに仕上げてね。」
との無茶ぶり。
彼はこの部屋だけを手がけてた訳じゃなく、他の部屋もかけもちで作業してたのね。
でも命令は絶対だから。
しかもマリアテレジアだからね。女帝だからね。
手がけてから完成までなんと6ヶ月!!!
でも限界を超えるほどの強行スケジュールによるストレス&過労。
彼はこの部屋を完成させた後精神を病んでしまい、精神病院で生涯を閉じたらしい。
皇帝の間Kaisersaal
宮殿の中で一番豪華な部屋。
だって皇帝の間だもん。
現在はここでモーツァルト演奏会が毎年開かれてるんだって。
いいなー。なんか想像するだけで21世紀だってことを忘れさせてくれそうだよね(´∇ `*)
次の電車に乗れば18:30にディンケルスビュールに着くしちょうどいいかも。
なんたってまだ宿もないし。
てなことであと2時間。
あれ?そういえば。。。ココ世界遺産が。。。
そう!!!
レジデンツResidenz
この宮殿、
ヨーロッパを代表するバロック様式の建築で、
南ドイツで最も美しいとされてる宮殿。
しかも
中世ヴュルツブルク、歴代司教の宮殿なんです。
王様とかじゃないんです!
まぁ、司教っていっても領主司教だからね。ダブルだからね。
しかもこの頃のカトリック、聖職者たちの権力って半端なかったからね。
キリストの教えはどこいったんだってくらい贅沢してただろうし。
もう自分たちは神に近いって勘違いしちゃうくらい、
特に西ヨーロッパのカトリックは勢いのってたから。
この宮殿が造られたのは18世紀。
13世紀からそれまで司教さんたちは街の中心からライン川を渡って丘の上、
マリエンベルク要塞に住んでたのね。お城を兼ねた要塞。
マリエンベルク要塞Festung Marienberg
領主司教って
政治的にも宗教的にも権力者だからいろいろ心配があったんだろうね。
宗教改革真っただ中。
実際16世紀、農民たちの暴動があったんだよね。ドイツ農民戦争。
この街も農民軍団に占領されて、
マリエンブルク要塞も囲まれちゃうんだけど、
この要塞、
13世紀に領主司教が住み始めてから市民たちの抵抗を押しのけて、
更に頑丈に更に立派に増改築を繰り返して増強されてます。
そのおかげ(?)で農民戦争での籠城戦に耐え抜いて農民たちを殲滅。
農民たちに加担したヴュルツブルク市民たちにも厳しく報復。
拷問したり裁判で断罪したり。。。
その中には前の市長で彫刻家のティルマン・リューメンシュナイダーもいたとか。
現在ではドイツ最大の彫刻家と評価されてる人。
そんで元市長として農民たちに加担したとされ、拷問にあって腕を砕かれたとか。。。
ちなみに彼の作品はこの要塞の中の博物館に展示されてます。
自分の腕を砕いた領主司教が住んでいたこの要塞の中に。
。。。。。
あれ?
なんかレジデンスの話から遠く離れちゃったけど(^▽^;)笑
まぁ、とにかく領主司教たちの18世紀からのおうちがこっち。
んでもって自慢が
階段の間Treppenhaus
この天井画(*゜▽゜ノノ゛☆
世界で一番大きいフレスコ1枚画!!面積600㎡!!
18世紀、イタリアを代表するベネツィアのフレスコ画家・ティエポロ作。
でもこのフレスコ画ももちろんすごいんだけど、
つまりはこのフレスコ画の分だけ吹き抜けになってるワケですよ。
当時こんなだだっ広い吹き抜けは常識外れだったんだって。
「これは絶対に設計ミスだ。」
「絶対に崩れるに決まってる。」
と悪口をたたかれながらも
「頑丈さには自信があるんだ!
砲弾を撃ち込まれても大丈夫ヾ(。`Д´。)ノ!!!」
と強気発言。
第二次世界大戦時。
イギリス軍からの空襲を受けたヴュルツブルク。
なんとその爆撃に見事耐え抜いたのがこの『階段の間』。
他の部屋はほとんど見事に爆撃受けたけどね。
隣の部屋とか。
だからこその奇跡
でも実はあと2部屋、爆撃をまぬがれた部屋があるのです。
白の間Weisser Saal
まさに!!って感じの白い部屋。
漆喰彫刻がレースみたいに綺麗な部屋。
手がけたのが彫刻家のアントニオ・ボッシという人。
しかも!!
「今度マリアテレジア様が来るからそれまでに仕上げてね。」
との無茶ぶり。
彼はこの部屋だけを手がけてた訳じゃなく、他の部屋もかけもちで作業してたのね。
でも命令は絶対だから。
しかもマリアテレジアだからね。女帝だからね。
手がけてから完成までなんと6ヶ月!!!
でも限界を超えるほどの強行スケジュールによるストレス&過労。
彼はこの部屋を完成させた後精神を病んでしまい、精神病院で生涯を閉じたらしい。
皇帝の間Kaisersaal
宮殿の中で一番豪華な部屋。
だって皇帝の間だもん。
現在はここでモーツァルト演奏会が毎年開かれてるんだって。
いいなー。なんか想像するだけで21世紀だってことを忘れさせてくれそうだよね(´∇ `*)