コメントをきっかけに…。(前にも書いたかも)
高齢出産の手前、ギリギリでの妊娠・出産。
色んな事を経験し、20代後半で【再婚はしない!】と決め、決めたのではなくて、環境も有り自然に…が正しいかもしれない。
環境…この思いは父の闘病・死によって変わりました。
環境、自分の事は気持ちは後少し…まだ複雑ですが、夫婦って老後に良さがわかるもんだなって感じました。母は複雑だったみたいですが(;^_^A
【再婚はしない!】と決め、それから仕事面では経理のスキルを重ね、収入もそこそこ有り、信頼関係も有りました。
そして思いもよらない妊娠。迷わずに出産を決めました。その為に頑張ってきたのだから。
家族からも会社からも、皆からの応援、支えが有り、妊娠期間を終え出産。
出産、色々有りました。
予定は12月4日。11月末まで仕事をして、2月1日から仕事を始める予定で社長には話してました。
家族、娘の父親とも色んな話も終え、妊娠生活の中で仕事、妊婦検診、出産準備。
11月4日の検診。
主治医から【このまま入院して下さい】【赤ちゃんの成長が悪いのと赤ちゃんの元気も無い】と。
私は涙を押さえるだけが精一杯で、主治医に【1度家に帰らせて下さい】とお願いし、タクシーで帰りました。
会社に連絡し、そして娘の父親に連絡し、そして母と父と荷物を持ち再び病院へ。
主治医には【切迫早産】と聞かされ、予定日まで点滴で早産しない様にするとの事。体重より週数を持たす事の方が大事だからとの事でした。
つわりは軽かったものの妊娠初期から出産まで二日酔いみたいなのが続いて、あまり食べれなかったのも事実。
そして自分でも気がつかない内にストレスも有ったのかもしれない。
そして22日に陣痛を起こす為に促進剤を使い出産へ。
出産時に決めてた事が有ります。
それは一切声を出さずに出産する事。
未婚で出産、育てていく覚悟をする為に。
母は最初についててくれましたが、まだまだ時間がかかると聞き、家事を済ましてくると帰りました。母が居なくなって直ぐに始まりました陣痛が!
ベッドにしがみついて耐えてたら、助産婦さんが昼食を…食べれるわけない…。
しばらくして違う助産婦さん…見にきては腰を擦ってくれて水分まで飲ましてくれて少し楽に。この時の助産婦さん、若かったのに親切で…。
そして準備が出来、分娩台へ。
私の場合、赤ちゃんの体力も無い為、出産に時間はかけれないし、小児科のドクター立ち会いで出産予定。そして産まれたら赤ちゃんはそのままNICUへと言われてました。
小児科のドクターが来る前に助産婦さんが産科の主治医に【赤ちゃんの心肺が弱くなってます】と…。
その後、すぐに小児科のドクターが来て、私はすでに涙だらけの顔(痛みじゃなく)【早く産まないと赤ちゃんが…】頑張ってすぐに産声が聞こえました。
えっ、私は…声を出してワンワン泣いてました。
赤ちゃんはNICUでチューブだらけ…また、母は涙。
娘は2週間NICUで入院。
その中で黄疸がひくのも遅く授乳も禁止になったり。
神経から母乳がまったく出なかったのでミルク。
後から産科の主治医が軽く【妊娠中毒症】になってたからと。
入院を言った時の私の顔を見て言わない方が良いと思ったらしいです。
今でも、娘を思う時、この出産時の事、初心に戻って考えます。
痛みに耐えた理由を。
本当に弱かった私が子供を育てていく覚悟をした時の気持ち。
子育てはこれからだと思います。
何が起こるかわからない…
※携帯からなので、後から修正有りかもです。