applejamな休日

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せかせか暮らしてるのに、気が付けば何もせずに一日が終わってる…
ゆっくりとジャムでも煮ながらお休みの日を過ごしたいなぁ…
大好きな韓国のドラマや音楽、その他もろもろについて書いてます







Primadonna、卒業しました。でも、FTISLANDを地味に応援していきます。どうぞよろしくお願いします。






applejamな休日-8





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角川春樹事務所 2009年5月刊 265ページ



『みをつくし料理帖』シリーズの第1作。
髙田郁作品を読むのは今回が初めて。
BSNHKで髙田作品のドラマ「金と銀」や「銀二貫」が面白くて
ドラマ原作が気になっていたのだけど、
読むなら同じ作者で、

ストーリーを知らない『みをつくし料理帖』シリーズの方がいいかも、と。







狐のご祝儀――ぴりから鰹田麩

神田明神下御台所町の蕎麦屋「つる家」で
肴づくりを任されている澪。
大坂でも名の知れた料理屋「天満一兆庵」に奉公していた澪だったが、
店が火事に遭い、
江戸店を営む若旦那、佐兵衛を頼ってやって来た主の嘉兵衛に付いて江戸に来た。
しかし、佐兵衛は行方知れず、江戸店は無くなっていた。
嘉兵衛は度重なる心労で亡くなり、
今はご寮さんの芳と二人、細々と長屋暮らしの澪だった。

江戸の味に慣れない澪だったが、
安くておいしい持ち帰りもできる肴を作ろうと考え、
出汁を取った後の鰹節で鰹田麩を作ろうと思いつくのだったが…




八朔の雪――ひんやり心太

「つる家』の主、種市と吉原の「俄」見物にやって来た澪。
帰りに茶屋で食べた心太でも、大坂と江戸の違いを知る。

澪は八歳のとき、幼なじみの野江と二人して、新町郭の「足洗いの井戸」に下駄を落としたことを思い出す。
遊女に叱られ、そのとき出会った易者の水原東西に、
野江は「旭日昇天」の相、
澪は「雲外蒼天」の相だと予言される。
数日後、長雨による堤防の決壊で、澪は両親を失い、
行き所もなくさまよう彼女を助けたのが芳だった…




初星――とろとろ茶碗蒸し

腰を痛めて蕎麦打ちができなくなった主の種市に
澪は店を引き継いでほしいと言われる。
悩んだ末に引き受けた澪は汁物と旬のお菜、炊き込みご飯の一膳飯屋を始める。
しかし開店一日目も二日目も彼女の料理を注文する客はいない。
三日目、澪は江戸では見向きもされない戻り鰹を使って鰹飯を準備するが
「もどりがつお」と聞くと客は去って行ってしまう。
澪は鰹飯を握り飯にし、「はてなの飯」と名付けて、通行人に味見させると、
みな、旨い、旨いと店に入って注文するのだった。
しかし、小鉢と汁物の味に自信の持てない澪は、
浪人の小松原に「料理の基本がなっていない」と指摘されてしまう…




夜半の梅――ほっこり酒粕汁

「とろとろ茶碗蒸し」が料理番付で関脇を取った澪。
店は繁盛し、芳や長屋のおりょうにも手伝ってもらうようになる。
翁屋の又次が夜遅くに茶碗蒸しを求めてやってくる。
澪は、売り切れた茶碗蒸しの代わりに、
俵型の握り飯や卵焼きにおぼろ昆布を添えた弁当を作る。
弁当を届ける相手は翁屋のあさひ太夫だと又次は澪に告げる。

料理番付で最高位の日本橋、登龍楼が神田に新店を出す。
敷居の高い本店と違い、新店は町人向けの値段で、
しかも味は落とさず、店の装飾や器は本店さながら、豪華なものだという。
茶碗蒸しを名物料理とする新店に客を取られるつる家。
新店に茶碗蒸しを食べに出かけた芳は
澪の考え出した合わせ出汁が用いられていることに気づき、
板場で文句を言うが、叩き出されてひどいけがを負ってしまう。
いきり立つ澪に芳は語って聞かせる。
「人としての器量を落としたらあかん」
しかし、登龍楼の手のものと思われる嫌がらせが続いて…









一話完結で話のテンポがよい。
もちろん、澪の料理人としての成長を初めとするストーリーの大きな流れもある。

澪が料理人としての腕をめきめき上げていくと、
それと同時にライバル、登龍楼の嫌がらせもエスカレート。
その、これでもかという嫌がらせにも負けない澪の根性や創意工夫に
こちらも応援したくなる。

最初から登場する謎の浪人、小松原。
彼は料理に詳しいのか、澪に様々な示唆を与える。
若医者、永田源斉も、ただの医者ではなさそう。
小松原が源斉に見覚えがあるというのは、何かの伏線?
「初星」で初めて登場する、
吉原の翁屋で料理番を務める又次も気になる存在。

未だ姿を現さない若旦那、佐兵衛の消息は?
吉原通いが高じて姿を消したとされているけれど、ほんとにそうなのか。
つる家の名の由来となる、種市の娘、おつるの死の真相も気になる。

サブタイトルになっている料理のレシピがそれぞれ、
巻末にまとめられている。
どれもおいしそうで、こちらも気になる。




このシリーズもとっくにドラマ化・映画化されていて、

澪役は、北川景子、黒木華、松本穂香が演じているそう。

私は、小説を読んで、澪を演じるなら黒木華だって思ったので、

実際、彼女でドラマ化されてて、やっぱりってなった。

 



いやー、再放送してほしい~!!


 


光文社 2017年1月刊 302ページ







弥勒シリーズ第7弾。



油問屋東海屋の主、五平が殺された。
ただ殺されたのではない。
妾のお宮に怨み殺されたというのだ。
そのお宮は五平が殺されたと同じ頃、
自宅の庭で喉を突いて死んでいた。

殺しの現場で岡っ引きの伊佐治が見たのは
深紅の牡丹の花が五つ、口に突っ込まれた五平の遺体だった。
遺体には刺し傷や絞めた痕、もだえ苦しんだ痕すら無かった。
手代の作蔵は幽霊の仕業だと言う。
妻のお栄や女中のおときも幽霊を見たと言う。
熱で一月近く寝込んでいた同心の信次郎は
伊佐治から東海屋の事件について聞き、出遅れたと悔しがる。
そして、お栄が遠野屋から紅を買っていたと知ると色めき立つのだった。

一方、伊佐治の息子の嫁、おけいは死産、流産で二度も子を失った。
塞ぎ込むおけいを周囲は気遣うが、周りが思う以上におけいは傷ついていた。
姑のおふじに「ぼんやりするんじゃないよ」と叱咤されたことをきっかけに、
おけいは梅屋を飛び出してしまう…







久しぶりの弥勒シリーズ。

 




お決まりの場面、
伊佐治と信次郎とのやりとりや
信次郎と清之介とのやりとり、

伊佐治や清之介の心理描写、
マンネリだとか、冗長だとかのレビューも見かけるけど、
まあ、確かにそんなところもあるけれど、

それが安心感につながる部分もある。




特に、今回の事件は
遺体の異常な様態や不明の死因に、
幽霊や怨みまで加わって
ホラーチックで派手な幕開け、
いつも以上にドキドキわくわく、面白い。

 



それにしても、おけいの不幸ぶりには胸が痛い。
幼い頃に偶然、事件の目撃者となって
そのことが後々尾をひくという話もあったけど、
今回も、もう少しで自分が事件の被害者になるところだった。
それ以上に二度も子を失うのは本当に辛い。
次回作では、かわいい赤ちゃん誕生の話を読みたいんだけど、どうなってるのかな?



今回、ホームズ物におけるモリアーティみたいな、

悪事の首謀者なのに捕まらない悪人が出てくるんだけど、

今後も、登場するのかな?

 

 

 

最新作まで、まだまだ追いつかないので、

いろいろと楽しみ。

 

 

 

 


人物相関図↓


 

 

幻冬舎 2010年9月刊 265ページ


「イヤミスの女王」湊かなえ作品にも、
先日読んだ『山女日記』のような読後感爽やかな作品があると知り、
そんな作品をもっと読みたいと、読んでみたのが本作。

 

 

 

『山女日記』の記事↓

 




十年後の卒業文集

高校時代、放送部員だった静香と浩一の結婚式に集まった当時の部員たち。
式を欠席した千秋が行方不明だと聞いて気になった悦子は、
あずみに手紙を送る。
「何か知っていたら教えてください」
高校時代のあたりさわりのない思い出がつづられた返信に、
悦子は再びあずみに手紙を書く。
「千秋は5年前に実家に帰っているとき、事故にあってケガを負ったと聞きました。
それが原因で精神的にも少し不安定になって、行方不明になった、と」
手紙の相手が悦子ではないと疑うあずみ。
悦子は、千秋のケガが事故ではなく事件ではないかと疑う。
やがてその疑惑の矛先は静香に。
彼女にも手紙を送る悦子。

疑心暗鬼のやり取りの中で、当時は知らされていなかった事実が明らかになって…




二十年後の宿題

小学校時代の恩師、真知子から、
かつての教え子6人に会って今の様子を知らせてほしいという手紙を受け取った敦史。
高校教師の敦史は夏休みを利用して一人ずつ会いに行くことに。
最初に会った教え子、真穂が何気なく口にした「あの事故」。
20年前、彼女が小学4年だった時、
6人の子どもたちが真知子とその夫とともに落ち葉拾いに出かけた。
その子どもたちが、今回敦史に会ってほしいと依頼された6人だった。
落ち葉拾いに出かけた先で、

良隆が川に落ち、彼を助けようとして真知子の夫が亡くなったのだが…






十五年後の補習

国際ボランティア隊として、治安の悪いP国に赴任した純一。
万里子は彼へのエアメールの中で
彼の決断には「あの出来事」が影響しているのかと問う。
「あの出来事」、それは15年前、
二人が中学2年の2学期のことだった。
一方的に康孝を殴る一樹を眺める数人の生徒。
その中に純一もいた。
万里子は純一に一樹を止めるように言うが
万里子には関係ないといって彼は止めに入ろうとせず、
万里子は自ら止めに入ったのだった。
当時の記憶が曖昧な万里子は純一と手紙をやりとりするうちに
失っていた記憶を取り戻していく…







章ごとに語り手(視点)が変わる小説を最近、よく見るんだけど、
手紙のやりとりなら、自然と語り手が変わる。
お互いが知らなかったことが
やりとりの中で次第に明かされていって、
事実がはっきりとした形を表す…
「往復書簡」はミステリーに便利な形だな、と。
しかも、読者は視点があっちになったりこっちになったりすることで、
惑わされやすくなる。
どっちのいうことが正しいのか、と思ってたら、
どっちのいうことも正しくなかったり、
同じ出来事も、見方が変わると違う話になってたり。


3編とも趣向の異なる作品で、それぞれ面白かった。
しかし、「読後感爽やか」を求めて読み始めたのに、
最後の「十五年後の補習」はモヤッとした。
希望を感じさせる終わり方ではあるんだけど、やはり「イヤミス」?


3編、それぞれ、
高校時代、
小学校時代、
中学校時代の出来事が関わっていて、
「卒業文集」「宿題」「補習」と言うタイトルになっているんだな。
学校生活での出来事が後々重い意味を持ってくるという共通したテーマ、
高校教師だった経歴を持つ作者は、その経験を生かしているのかな?

 


「二十年後の宿題」が「北のカナリアたち」のタイトルで映画化、

「十五年後の補習」が「往復書簡」のタイトルでドラマ化されている。