私の自覚している短所。
それは心配性でいつも不安ばかりのところ。
自信があることでも、万が一のことを考えるとその先の1歩を踏み出せない。
そんなことがよくあるのです。
7年前にベビーマッサージセラピストの資格を取得し、長野県ではまだそれほど普及していなかったベビーマッサージを広めていこうとしたときも、何回かの講座を開いた後、それを続けて行くことへの1歩が踏み出せなかったことを思い出します。
でもそれじゃいけない。
私がしようとしていたことは何だったんだろう。
私は何をしなければいけないんだろう。
改めてそう考えたとき、ようやく自分が向かうべき場所がどこにあるかが見えた気がしました。
じゃあそのためにまず何からすればいいのか。
それは今あるものを活かして、さらにステップアップするための勉強をすることでした。
そして昨年いくつかの資格を取得し、今年もまだまだ勉強を続けて行こうと思っています。
そんな風に自分が考えていると、目の前にかかったもやがすっと消えて行くような言葉に遭遇することが多々あることに気付きます。
仕事のことで不安になっていたとき、
「万が一のことなんてそんなに考えなくてもいいんじゃない? やってみなきゃ分からないし、きっと今思っているような最悪なことにはならないよ」
と同僚の子に言われたこと。
初めてのカラーセラピーで、言葉にできずに迷っていたことを的確な言葉で形にしてもらい、その先に考えるべきことを強いメッセージとして受け取ったこと。
あるセッションで、私っていつも1歩を踏み出すことが不安で実行に移せないんです、と話したとき、
「でも今日ここに時間を作って来てくれたということは、もうすでにその1歩を踏み出しているってことですよ」
と担当者の方に言われたこと。
『置かれた場所で咲きなさい』という本のタイトルを書店で見つけ、気になってはいたものの手を出すことをしなかった数日後、思いがけず職場で同じ言葉を投げかけてくれた上司がいたこと。
登山に出かけたとき、厳しい崖のふもとの誰にも見えないような場所に花が咲いていた。
たった一本、大きく綺麗な花を咲かせ風に揺れている。
「こんなところで咲いていたって誰も見てくれないよ」
そう心の中で言ってみたけれど、でもその花はその場所で綺麗に咲いている。
そして、あぁ…そういうことなんだなと思った。
この花も、自分も、置かれた場所でしか咲けないんだ。
だからこの場所で、誰に気付かれなくても、誰に見られなくても、一生懸命、精一杯咲いている。
この時代の、この場所に居ることに意味がある。
今躓いていることにもきっと意味があるということなのかもしれない。
今のこの困難が、いずれ役に立つ日が来るのかもしれない。
そう思ってもう少し前を向いてみようと考えることが、必要なのかもしれない。
その夜、書店へ本を買いに走ったこと。
何気ないけれど、その一つ一つの言葉が少しずつ私の目の前のもやを少なくしてくれていると感じます。
今月は某企業のセッション、第2回目に参加する予定。
日本初の女性支社長さんとマンツーマンでお話しできる時間は本当に貴重で、勉強になります。
私もスポンジのように、もっともっとたくさんのことを吸収できるようにならなければいけませんね。
謙虚な姿勢で頑張ります。


