前回の更新が3月。
かなり久しぶりの更新になってしまいました。
でも3月末から4月末頃まで、個人的にはとっても忙しい日々を過ごしていましたよ。
今年も20名を超える新入社員が入社してきたので、入社式から新入社員研修、それに付随する様々な雑務。
毎年のこととはいえ、私的にはこの時期が一番多忙で体力を使うときだなぁと思います。
でも、初々しい新入社員の少し緊張した凛々しい姿に、自分自身もパワーをもらえる素晴らしい時間を過ごさせていただいていると感じています。
その後、ゴールデンウィークでは遠出はしなかったものの、サッカーを観に行ったり、とある新しいスポーツにはまりそうになって連日そのスポットに通ってみたり(笑)。
お休み明けは息子くんの家庭訪問があったりで、なんだかずっと動き回っていました。
ようやくこの週末に来てひと段落できた気がします。
春になり、自宅の庭も賑わってきました。
芝にも緑が見え始め、小さな家庭菜園にはシソジュースを作りたい!という息子くんの希望で赤シソと、毎年定番のミニトマトが植えられました。
今日は、「子供の情操教育について」という話を、ある方としました。
よく、動物を飼ったり、ピアノを習ったり、バイオリンを習ったりとか、そういうことが子供の情操教育に良いなんていう話を聞きますが、これって一体どういう意味なんだろうってところから始まった会話でした。
その話を終えて思い出したのは、ある日の我が家のエピソード。
うちには1歳のトイプードルがいるのですが、この子は子供たちが飼いたいと言い出しました。
私も昔から犬を飼うという夢があったので、子供たちの想いと私の想いとパパの一押しがあり、一昨年の秋に我が家にお迎えしました。
この子はあっという間に家族に溶け込んで、子供たちも一番下の妹と思っているようです。
赤ちゃんの頃から育てていることもあるかもしれませんが、子供たちはこの子と向き合うとき、いろいろなことよく観察して感じようとしているなぁと思います。
言葉をしゃべらない相手に「どうしたの?」「これが欲しいの?」「何がしたいの?」「お腹空いたんだね」「大好きだよ」「かわいいね」。
決して言葉でお返事が返ってくる訳ではないけれど、この子の声、仕草、行動にたくさんのことを感じようとしている子供たちは、今思い返してみるといつも笑顔でとても優しい顔をしているなって思います。
ある日、私が出かける準備をするためにリビングを離れたとき、しばらくして娘が「おにいちゃんがないてる」と教えに来てくれました。
「どうして泣いているの?」と聞いてみると、犬がソファに上ってしまい、そこから降りたときに転んでしまったとのこと。
そして足を引きずっているということを教えてくれました。
私も驚いてリビングに戻ってみると、そこには両手で犬を抱えたまま号泣している息子の姿がありました。
「あのね、ソファから降りようとしたら転んだの。そしたら聞いたことのない声で鳴いたんだよ。すごく痛そうな声だった。そのあと足引きずってるんだよ。怪我しちゃったよ! 痛いんだよ! どうしよう! どうしよう!!」
短くまとめるとこんな感じでしたが、実際にはぽろぽろと涙を流しながら、まるでそれは足を引きずっている犬の痛みを自分の痛みのように感じているようでした。
(そんなことを感じながら、でも実際には私もドキドキで、不安でいっぱいで、本当に怪我でもしていたらどうしよう! すぐに病院に連れていかなくちゃ!!なんてことも考えていたんですよ(苦笑)。)
そして息子が抱いている犬を受け取りもう一度歩かせてみると、あれ? 普通に歩いてる!
しかもその内何事もなかったかのように走り回り、『ボール投げて、投げて♪ 遊ぼう!』といういつもの様子に戻りました。
その様子を見た息子にはようやく笑顔が戻り、犬には痛い思いをさせてしまったことにごめんなさいをしてその日のハプニングは幕を閉じました。
今日のお話しでは、情操教育とは「何かを見たり聞いたりしたときに、それについて【感じる心】を育むこと」だということでした。
また、そのお話しの中にはありませんでしたが、上記の我が家の例のように、動物を育てたりする経験はその動物の立場を想像する心理を育む効果などがあり、それが情操教育になったりもするそうです。
それは言い換えると、相手の気持ちを想像して考える力を育むということですね。
こんなことをしたら、こんなことを言ったら、相手はどんな気持ちになるだろう? どんな痛みを感じるだろう?ということを考えられる人になっていけるということ。
それはまさに【感じる心】の部分かもしれません。
そう考えると、ピアノを習うとかバイオリンを習うということが情操教育に直結するかというとそういう訳ではないようですね。
ただ弾いているだけではそれは達成できないということです。
例えば、この音(このメロディー)は楽しい感じがするとか、逆に悲しい感じがするとか、そういうことを感じられる、想像できるようになる習い事なら、それは情操教育につながっているのだということです。
今娘はピアノを習っていますが、毎週先生からいただくお便り帳に時々ですが『今日は○○という曲を練習しました。この曲はとっても素敵な曲です』とか『私(先生)はこの曲が大好きです』などというコメントが書いてあります。
今は習い始めて1年、まだ5歳なのでこの曲やこのメロディーがどうとか感じることは無理かもしれませんが、こういうコメントを書いてくださる先生のもとでピアノの基礎を学ばせて頂けることはありがたいなぁと思います。
さて、なんだか文章がまとまりませんが、今日は子供の情操教育について考えてみました。
それは動物を飼わなくても、習い事を無理にしなくても育てることができます。
綺麗な空を見て「綺麗だな」と感じることができること、花を見て「美しいな」と感じることができること。
そう思える子供に成長するには何が必要でしょうか?
やっぱり親子のつながり(絆)かな、と私は思うのです。
夕方の帰り道や夕方自宅の窓から見える夕焼け。
「○○くん、○○ちゃん、ちょっと見て見て! ほら、空がピンク色になってるよ。とっても綺麗だねぇ。明日は晴れるかなー?」
そんな何気ない会話が自然にできること。
その時に並んでいる親子の表情はどんなでしょうか。
その先にどんな会話が生まれるでしょうか。
想像するとなんだかほのぼのしませんか?
きっと次に夕焼けを見たとき、その子供たちは言うんじゃないでしょうか。
「ママ、見て! 今日はとっても綺麗な夕焼けだよ! 明日は晴れるかなー?」



