とある対談のネット配信を見て、対談の中で、こんな世の中だから不安に囚われちゃうのは仕方ないとして、不安に対処するにはくだらない雑談が有効です。って話がありました。

くだらない雑談が尊いのは私も同意なんだけど、くだらない雑談といってもワイドショーのネタとか、世の中への不平とか誰かの悪口とか、そういうネガティブな雑談がしたいわけじゃなくて、日常の中の些細な発見を掘り下げて唸ったり笑ったりしたい。
不平や愚痴を吐き出すのもときには大事だと思うけど。

その話を聞いて、一人暮らしの私にはくだらない雑談に付き合ってくれる人ってなかなか居ないから、不安感の次は孤独感に襲われるんじゃないかって思った。

でも昨日なんとなくブログ更新して思ったんだけど、くだらない雑談って、1人でもできるね。
日常のあれこれを、気の合う誰かと共有して、笑い話にするのってもちろん楽しいしできればしたいけど、自分が思うことを文章に書き起こす作業は雑談に近くて、次善の策かもしれないけどいいぞこれ。

文章を書いてるときって、私の場合自分に向けて書いてるところが大きいからそう思うのかもしれない。
頭の中のふわふわしたものを言葉っていう型にはめていく作業は誰かと会話してるときもやってるし、スッキリする。なにより、文章だとその場の瞬発力も問われないから鈍足の私にもってこいです。

そんなこと考えながら昨日夜中にブログ更新して、今日昼過ぎまで寝て、シーツ洗ってコインランドリーきて、待ち時間の間にこれ書きました。

そろそろ終わるかな。

今年のお花見は、山歩きにはもってこいの天気に恵まれて、母とゆったり穏やかな一日を過ごせました。

川沿いの桜も満開近くて、
花の写真撮るの難しいよねーって会話しながら、たまに立ち止まって写真撮りながら、目的地のお花見会場までのんびり歩く。

毎年お花見の時期は、街にぼんぼりが飾られてお花見会場には出店が並んで、子どもが走り回ったり大人は昼間からお酒でいい気分になってたり、たくさんのお花見客で賑わってる私の地元だけど、今年は、ぼんぼりも出店もなく、人もまばら。
この時はまだ緊急事態宣言は出されてなかったけど、こんな風景、初めて見た。



静かなお花見会場を歩きながら、
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、やね」
と母。
「ん?マスターキートン?」
と私。

母は、子どもの頃祖父からこの言葉を聞いたことがあるらしい。
私がこの言葉を知ってるのは、多分、マスターキートンの中でキートン先生のお父さんが呟いてたからだ。いい言葉だなと思ってたけど、なるほど、元ネタがあったのね。


お花見会場は、桜の他にもツツジやリンドウなどたくさん見頃を迎えた花たちが溢れてて、母に花の名前を教えてもらいながら山道を散策。



リンドウかわいい。


ヤマシャクヤク


山吹

「七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき」

昔、身分のある人が、雨に降られたから民家で蓑を借りようとしたけど、そこの住人は蓑じゃなくて山吹を差し出してきた。身分のある人は最初意味が分からなくてイラッとしたけど、後から、渡された山吹の意味に気付いて自分の無学を恥じた。という話があるのよと母が教えてくれた。

山吹は実をつけない花で有名で、上の古歌の「みのひとつだになきぞ」ってところが蓑とかけられてる、と。
つまり、住人が差し出した山吹にはお貸しできる蓑はありませんという意味が込められていたわけで、しかし古歌の存在を知らないとそんな意味まで辿り着けないわけで…。なんとまあ風情があるというか、奥ゆかしいというか、おしゃれというか。試されているというか。

むかしの人の和歌のやりとりもそうだけど、遠回しな表現というか、含みを持たせたり何かに例えたり解釈を相手に委ねたりして、お察し下さい、みたいな変化球の応酬、いいよね。わりと好き。


帰り道ちょっと遠回りして、子どもの頃親に連れられて行ってた公園に寄り道。いつぶりかな?少なくとも20年は来てなかったと思う。
当時遊んだ遊具も劣化しつつもいくつか残ってて、これといった思い出は思い出せないんだけど、楽しかった場所として記憶に残ってて、懐かしかった。


今年はいつもと違う雰囲気のお花見だったけど、のんびりしててこれはこれで良かった。

来年はどうかな、賑やかなお花見もできるといいな。

いま住んでる集合住宅、ベランダに、鳥が入ってこないよう鳥避けの網が張られているんだけど、
一昨日くらいにすずめが一羽、どこからか迷い込んできてた。

隣の部屋とうちの部屋のベランダを行ったり来たり、非常時は蹴破る仕切りのやつの上側を、
外に出たそうに、バタバタと飛んでた。

生け捕りにして放してあげたかったけど、
今朝、うちのベランダで息絶えてた。


うちのベランダでよかった、って思った。
隣の部屋、誰も居ないもの。
コンクリートの上で腐敗していくより、
土に還してあげたいじゃない。


驚いたのは、
タオルに包もうとすずめの亡骸を持ち上げたとき、
「おまえにも子どもがいるの?」
って言葉が出てきたこと。

子どものために餌を探しにきて迷い込んだすずめってイメージが浮かんだんだろうね。

私には子どもいないのに不思議。

10年前なら、
「おまえを待ってる恋人はいるの?」
って話しかけてたかもしれない。


すずめが子どものために餌を取りに行くとか、いつが繁殖期だとか、詳しく知らないけど。

他の生き物に掘り返されないようちょっと深めに土を掘るくらいしか考えられなかったけど。


あの一角におまえが眠ってるって、ここに住んでる間は私たぶん覚えてる。

逃してあげられなくてごめんね。