見かけた面白い本

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矢_島_慎が見かけた面白い本の紹介。

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新 二元論 夢編


前編で記憶の思い出しについて述べた。夢もまた記憶の思い出しの要素が大きいのでこの考えが当てはまる。


私は病気にかかりとても不安だった。そんな状態のある夜、まるでヘビがどくろを巻くかのようなものを見た。ある塊が香取線香上になっていたのだ。それはヘビではなかった。


その明け方、私は、家にヘビが入り込んでいた夢をみた。

この例はとても分かりやすい。自分が病気にかかったという「恐怖」の状態にあり、また「どくろを巻く物体」をみたからだ。

恐怖という分野概念と、どくろを巻く物体という具体概念の2つが、ヘビという記憶概念を引き起こしたものだ。


この例のように夢も、基本的には二元論に支配される。

ついでながらレム睡眠状態では、身体の感覚器官が覚醒している場合がおおい。

例えば背中の皮膚感覚が覚醒しているとする。しかし脳の皮膚感覚部位まで神経が眠っていて届いていない状態では、背中の体重を支えている感覚がなく、かつ意識感覚が覚醒していると、空を飛んでいる感覚となり、そのような夢を見る。

同様に歯の圧力を感じる感覚が睡眠していて、顎を動かそうとする感覚が覚醒していると、歯がぬけた感じを覚え、夢でも歯が抜けたのを見る。


この場合、二元論が当てはまらず感覚だけの夢を見る場合もあるが、たいてい空を飛ぶ場合でも、飛んでどこに行こうかとか、空から俯瞰して見える光景などが現れる。この光景シーンは二元論があてはまる。


また最近ノンレム催眠中に、とても怖い夢をみることが確認されている。ノンレムの深い眠りを打ち破る、海馬の恐怖記憶が呼び覚まされるのであろう。


「新・二元論  第8章  嫉妬」  


 一般的に嫉妬についてこう言われる。男性の嫉妬は、その順位に嫉妬し、女性は存在そのものに嫉妬する。
 もう少し具体的に述べよう。まず男性側の嫉妬。複数の男性がある女性を好きになっている状況で、2番目にいる男性は1番目の男性に強く嫉妬し、3番目以下の男性に対しては余り嫉妬しないと言うものである。
一方女性は相手の男性に一人でも、自分以外に好きな女性がいることに嫉妬するというのだ。
 さて嫉妬について何が外部要因で、何が内部要因となるのであろうか。
まず外部要因は好きな相手にライバルがいることだ。即ちライバルの存在が外部要因となる。
 では内部要因とはなんであろうか。一つには自分が振られるかもしれない危機感だ。あるいは相手を好きになる自分の希望を、誰にも邪魔されたくない気持からきている。
 いずれにせよ本人にとっては一大事だ。では冒頭の、嫉妬で男女差がでるのは何故なのか。内部要因の性差を見てみたい。
 二人の付き合いにおいて、いずれなされる受精について、受精前と受精後のどちらにポイントを置くかで違いが出る。男性は受精前、女性は受精後を重要視するというのだ。
 女性の場合、恋愛期においてはまだ受精していない場合が多い。しかし意識としては受精後をしっかり見据えている。当然将来の結婚、出産、育児をトータルとして恋愛感を作り上げている。
 一方男性は将来の家族計画も大事だが、まず当面の恋愛を片思いから相思相愛の関係に持ち込むことが必須事項だ。恋愛無くしては何事も始まらないのだ。
 このことを精子、卵子レベルで考えると、女性の場合は受精するまでは未受精卵子をそのまま体外に排出している。しかし、受精後は生命の誕生に向けてのハイライトを迎える。
 男性の場合、女性に求愛するためあらゆる努力をする。まさしく精子に隠された自分のDNAが理想の女性を求めただひたすら邁進するのだ。そして見事理想の相手を見つけ、結婚した後は妻と子供と共に幸せな生活を送る。その恋愛人生において受精までの部分に重きを置くというのだ。
精子と卵子の役割がそのまま嫉妬感になる。男性の場合精子が卵子に受精するまでが最大の任務で、受精後は卵子に取り込まれ、その後出産を迎える。出産後は父親として母親と協力して育児にあたる。

 男女の嫉妬感の差もまさしく、受精前の精子と受精後の卵子の差となって形成される。
 まず精子的性格を持つ男性の場合から述べよう。そして好きな女性を卵子と見立てることができる。
 男性側にライバルがいることは精子の例を見ても明らかだ。
精子は最初に卵子に突入した精子のみが受精卵ならしめる。残りの精子群はサポート役になる。
 人間の進化をさかのぼれば魚にたどり着く。魚だった頃は放出された精子群の多くは卵子にたどり着くことができたのだが、人間が進化した結果なのだから仕方がない。
 まさしく男性は恋愛においては、徒競走の走者なのだ。前を走るライバルを抜いてやろうと期を伺うと同時に、すぐ後ろの走者に対しては抜かれないよう注意を怠らないのだ。
「え?男性は後位にしろライバルがいてもいいの?」との疑問を持たれるかたがいます。しかし初めて好きになった女性に先約があったり、また後からその女性を好きになるライバルの出現は起こり得ることだからライバルの存在は必然でしょう。
 一方女性の場合はどうでしょう。卵子の性格は精子の突入を待つところにあります。徒競走でいえばゴールのテープであり、テープを切ったランナーに一位の旗を手渡しに駆け寄る役割です。
そして受精と同時に人生のドラマの続きが展開されるのだ。相手の男性と協力して子供を生み育てる楽しみが待っている。
 相手の男性が他の女性を好きになることはありえないし、あってはならないのだ。
 仮に自分が第1位いても、第2位、第3位がいたとしたら心配でならない。そんな状態でおちおち育児に没頭できない。
シェークスピアのオセロは嫉妬がテーマだ。指揮官オセロは妻の嫉妬にたえかね、妻を殺してしまう。
 二元論からは、指揮官はライバルと闘うべきなのだ。しかし愛する者をあやめる悲劇故に、不条理の構築が世に受けるのだろう。
記憶の思い出し

私たちは毎日の生活で記憶を常にしたり、またそれを思い出している。
例えば、「前の総理大臣は誰?」と質問されるとしよう。
そうすると、まず総理大臣の一覧が脳の中でファイル化される。歴代の総理大臣で比較的新しい総理大臣の一覧がファイルされる。なかにはその1人の顔が浮かぶかもしれない。
次に、「前回」という条件から、「そうそうどたばたした総理大臣だったな」という周辺条件が思い出しの助けとなるかも知れない。
その条件づけから、「安陪前総理大臣」の名前と顔のイメージが固定化される。

このように私たちが記憶を読み出すときは、丁度パソコンの内部記憶を読み出すように、検索をかけて読み出すことをする。
しかし単一の項目の読み出しは、数が多かったり、して使いにくい。
別の例では、ある人と過去食事にいったときの情景を思い出そうとする。
まず「食事」という検索をかけるわけだが、「食事」だけで思い出そうとすると膨大な数の食事のシーンが思い出されてしまう。
この場合、誰と入ったかを特定するために、食事をした相手を検索に入れる。すると明瞭に、その方と食事にいった情景をおもいだすことが出来る。

これも心的条件と外的条件の二元論を形成している。
誰と、という心的条件。それと何処で、という外的条件。その2つで検索をかけることによって脳内ファイルの記憶を読み出すことが出来る。冒頭の例では、総理大臣一覧という外的条件と、「途中で投げ出した総理」という心的条件の両方で検索にかけるわけだ。
この場合外的条件を2個入力して思い出そうとすると、脳は混乱を起こす。
動揺に心的条件のみ2つを入力しても同様である。心的条件と外的条件の2つによって、明快によみだすことが出来る。
例えば、過去食事に行ったレストランを、レストラン名で検索にかけ、さらにそのレストランの場所で検索をかけても、そのレストランの建物がぐるぐる現れるだけで、ちっとも特定の人物が現れない。
同様に、人物だけを違った角度から2度検索にかけても、永久にレストランのイメージは浮かんでこない。
心的条件と外的条件の2つを検索にかけることによって初めて明確に、誰とどのレストランに行った思い出として浮かんでくる。
「新二元論 第9章 音 楽」  
 音楽における外部要因は、述べるまでもなく耳や身体から伝わる振動だ。問題は内部要因が何かだ。
そのまえに音楽における特質をあげなければならない。音楽における特質は3つある。
1:短調と長調の違い。
2:オクターブの認識。
3:リズム、メロディ、ハーモニーの3要素を持つ。
 1の短調、長調の差は不思議な特質だ。短調の曲や和音を聴くと誰でも暗い気分になり、長調の曲や和音は人を明るくさせる。
脳内部には対立感情を持つ2つの部位がペアになって存在する。例えば喜びと悲しみ。別の表現で、笑いと泣くこと、がそれである。それと同様に気分が「明るい」と「暗い」のペアとなった対立感情部位を持つ。
 長調は脳内の「明るい感情」部位に作用し、短調は「暗い感情」部位に作用する。
 それ故、長調曲の音楽は記憶の中の、明るく楽しい記憶を呼び起こし、短調曲は暗く悲しい記憶を呼び起こす。
 そして呼び起こされた記憶が内部要因となり、更なる感情を引き起こしていく。
 和音の種類によっては複雑な取り合わせの感情がかもし出される。これはすでに音楽理論として広く研究されている。
 2番目のオクターブの特質も際だったものだ。倍数の振動数で同じ音程を感じる特質は他に例を見ない。
 例えば光も振動数を持つが、赤の振動数の倍の振動数の光は赤系統にはならない。赤の倍数は全く別の色である。あるいは可視光線外になる。
 いわゆる変声期は男性にのみ起こる変化だ。青年期の声は少年期の声の約1オクターブ低い声となる。これは男性ホルモンの影響である。男性ホルモンの影響を受けない女性は変声期を持たない。
 オクターブはたんに振動数が2倍、4倍の関係にとどまらず性の特徴をも表しているのだ。一般的には低い声は男性的、高い声は女性的と言える。
 当然女性は男性的な声に、男性は女性的な声に魅力を感じる。すなわちオクターブは性的魅力を引き起こす内部要素になりうる。
 3番目の、いわゆる音楽の3要素なるものが音楽を聴くものに複雑な感情を呼び起こさせる。または作曲者にあっては、複雑な感情を与え得る。
 音楽は器楽のみのものと、歌声が重なったものに大別できる。器楽音楽は抽象的感情を引き起こす。更に歌声のある音楽は、より具体的感情を引き起こす。
音楽はその経済規模でみると突出している。美術、文学、演劇、映画の各分野の芸術の中でトップクラスだ。
これだけ大衆から愛される音楽は、やはり歌声の効果が大きい。器楽だけの音楽はクラシックやジャズに限定される。
歌声の部分は詩のジャンルに属する。詩は単独でも大衆を感動させることのできる芸術だ。それが音楽と融合しより素晴らしい芸術を形成している。
 よって歌声の入った音楽の内部要因は、全ての領域に渡ると言える。
 このように耳から入る音楽が、それによって引き起こされる様々な感情が相互作用を起こし、あるひとかたまりの曲想を形作り、音楽と言う芸術を完成している。
「新・二元論  第7章  性的興奮」  

 まず最初に男女の性差を述べるとき、男女の固有性差を述べながら、男女権利差別に及ぶかたが見受けられる。私は男女の権利については全く同権の立場をとっています。ここでは男女の性差についてのみ述べるものであります。もし男女の権利差に話が及んでいるように感じられるかたがみえたら遠慮なく指摘下さい。即、検討させて頂きます。
 性的興奮ほど二元論がピッタリ当てはまるテーマはない。外的要因と内的要因がはっきりしている。
 外的要因は言うまでもなく接触による性的刺激だ。接触による性的刺激感覚は脊髄神経に入り、脊髄から直接性的反応として各部位に返される。
脊髄の尾底骨側から数えて4番目の骨の間から下半身の性的神経束が出ていて、その経路が主要性的神経系統となる。
では内的要因とは何がなり得るのだろうか。また男女間で差があるとしたら、それはどこに由来しているのだろうか。
一般的に言って、男性は女性の顔、スタイル、ファッションなどの外見から興奮を覚える。また女性は男性の声、自分を愛している言葉、愛のストーリーに興奮すると言われる。

 それらの性差の理由は3つ程考えられる。
1:成人男性は月に約100億の精子を造り、女性は1個の卵子を造る。この差による性差。
2:性ホルモンにより男性は狩りなどの攻撃的性質を強く持つ。女性は育児、生活など内質的傾向が強い。
3:男性は妊娠、出産の生理機能を持たず、女性のみの生理機能であること。

1:について。人間が進化をへて現在の姿になっているわけだが、多量の精子を複製するため外的刺激が必要。外的刺激のあるなしで、精子の製造や分泌液量に大幅な変化が生じる。
 一方女性の場合も分泌液量を必要とはするが、男性のそれに比べて影響は小さい。男性の場合はある量以下になると妊娠の可能性が急激に下がる。女性の場合はある量以下に下がると妊娠する子供の男女性に影響を及ぼし、少ない場合は女児の確率が高い。
 このためとくに男性において視覚要素が大きくなる。
 また男性の攻撃的特質も、相手の女性が被虐性を持つ場合、発揮され加速する。
 2の件については逆に女性のほうに影響を与える。性的興奮と育児本能とは直結するほどの関係だ。また育児本能は生活や人生の幸福ストーリーとも共通する。相手の男性との愛に満ちた会話や言葉は、女性の育児本能を刺激して加速する。それらは聴覚を通して知覚され、また知覚に意識が集中するため、あるいは育児本能に集中するため目は閉じられる場合が多い。
 3の妊娠、出産は
女性は当然ながら妊娠後期は行動に制約が生じる。また出産、育児の時期は子供の保育にかなりの時間をさく。そのため本能的に性的興奮と保育とをリンクさせる。
 本来的に持つ母性本能に加え我が子の保育本性が加算される。
このほか男女共が持つ、身体的、知性的な伸ばしたい特性に対する相手への称賛が性的興奮を加速する。
 以上のような内部要因と性的刺激の外部要因が混合され、性的興奮が起こる。
「新二元論 第6章 驚き(怖い驚き)」  
 恐さからくる驚きとは、驚いたときの反射行動における感情表現のことである。笑いとか泣くことの反応は、感じてから笑ったり泣いたりするまでに、一瞬であるが時間的余裕がある。それに比べ驚きの反応は、瞬間的反応である。
例えば熱いものに触ったとき、さっと手をひっこめる。その行動は反射行動である。反射の神経経路は触った手から、脊髄にいき、手に帰される。
ところが驚きは、その熱さを感じた手の刺激が一部、脊髄で分配され脳に行き、驚きの表情となるものである。
 耳または視覚から入った危険感覚は、直接脳を経由し驚きの表情を作る。
「驚き」の外的要因としては、自然災害、猛獣の襲撃、人からの襲撃、心的恐怖などがある。
 驚きの基本構造は、それらの差し迫った危険に対しての防御本能や逃避行動のことである。
 先程の熱いものを触ったときの例では、その感覚経路は触った手から脳に行き、脳内の内部要因と相互作用を起こし驚きの反応になる。あるいは、耳または視覚に入った危険感覚は一度脳を経由し、更に手足に伝えられる。
 内部要因とは常に脳内作用のことだから、驚きの表情も脳に蓄積された記憶に応じ千差万別になる。
では内部要因になるものは何があるのだろうか?
熱いものに触れたときは、脳はその原因を判断する。自分の責任だと一過性の表情で終わる。しかし他人から熱い目にあわされた場合は、一瞬にして反逆反応を示す。
驚きの反応については3つぐらいに分類できる。
先の熱いものに触れたときは、「熱い!」とか「痛い!」といった感覚系の声を出す。
 例えば雷が近くで鳴っていて、急に稲光が光ったときは、明らかに雷から来る危害を避ける反応を示す
 。この場合の内部要因は天から危険なものが落ちてくるから、それを避けようとする反応だ。このばあい「怖い!」とか「キャー!」といった叫び声を出す。

 内部要因が複雑なのは、心的な恐怖についてのものだ。
お化け大会のような場合は、内部要因も複雑となる。過去の怖かった記憶が一瞬に脳で読み出され、その読み出しに応じた恐怖を抱き、その恐怖に応じた拒否反応をとる。
 例えばヘビ嫌いな人が、いきなりヘビを見ると、当然驚く。この場合は、脳に焼きこまれた、生物の固有の天敵に対する防御反応を示す。
いうまでもなく、人間の進化の歴史で、かって小型哺乳生物であったときは、ヘビが天敵であったことに由来する。
他の例では、ほとんどの猿は現在でもヘビや亀などのハチュウ類に対して防御反応を示す。
 しかし私はワニが好きだ。獰猛な生物であるにもかかわらず。それはかって外国を旅行していたとき、その国の伝説に「ワニは祖先の生まれ変わり」というのがあり、きゅうにワニが好きになってしまった。
またヘビは大嫌いだが、中には大蛇を首に巻いても平気なかたを見る。私にとっては信じられない光景だが、何かその人にとってヘビが可愛いと感じる要因があるのだろう。
 このように、安全と確認された状況下では、人間のかっての天敵も、脳のその動物に対する好意的感情のスクリーンを介し驚かない事がある。
しかし本当に怖いタイガー等に襲われると、「怖い!」とか「キャー!」といった叫び声を出す。
 私の家の庭に雑草がよくはえる。こんな雑草に塩水を撒いてやれば、きっと雑草は枯れてしまうだろうと日ごろから思っていた。
外国に行き海の中にマングローブの木が群生しているのを見たときは、自分の既成概念が打ち破られ大変驚いた。
 既成概念が覆される場合も驚きとなる。このばあい「凄い!」といった声を出す。
 ただ素晴らしい芸術作品に触れ感激するのは、「(恐怖の)驚き」の範疇ではなく「感動」の範疇に分けられる。そして「(恐怖の)驚き」と「感動」は、対立関係にある。
 お化け屋敷での驚きは複雑だ。しかしたいていは、自分がお化けと同じような外見になることに対する防御反応を示す。またはいきなり現れたお化けに対しては、他人から襲われることに対する防御反応だ。このばあい「あーびっくりした!」とか「キャー!」の声を出す。
 一般に身に危険を感じたときは「キャー!」で、既成概念が覆されたときは「オー!」で、過度の感覚刺激に対しては「痛い!」「熱い!」の感覚形容詞!だ。それらの叫び声は、仲間からの助けを求めたり、仲間に危険を知らせる行動である。
 仲間に危険を知らせる必要のない驚き、例えばとても怖い話を聞いて驚いた場合などは、声も出さず、ただぶるぶる震えるだけである。
「新・二元論  第5章  恥ずかしさ」  
 恥には2つの異なった要素がある。1つは、自分の行ったことが予定された成果を現さなかったことへの反省の感情。もう一つは、文化として成員が約束事を守らせようとする縛りの概念である。
 1つ目の例は、ある人が舞台で何かを演じた場合、うまくいかず観客の受けがなかった場合、その人は恥ずかしいと感じる場合である。
 もう一つの例は、ある地域の約束事として、人前では男女のカップルはいちゃいちゃしないようにしよう、という暗黙の了解事項が結ばれていたとする。それをあるカップルがその了解事項を破り、公衆の面前でいちゃいちゃした場合だ。地域の人たちは彼ら二人を、恥ずかしいことをする二人だと非難するのである。また本人達も、了解事項を破ることへの後ろめたさが、恥ずかしい感情となる。この場合の恥は、ある種慣習法の罰ような役割を果たす。
 前者の恥を「不完成の叱咤的感情」とすれば後者は「慣習法の精神的罰」である。
 その両者に直接的関連はない。しかし「慣習法の精神的罰」として、例えば地域の合意として「感情表現をお互い抑制しよう」という規範合意がなされている場合。その場合は関連性が生じてくる。

 抑制規範が合意されていたとすると、ある人が舞台での彼のパホーマンスがうまくいったとき、彼はガッツポーズを取りたいのだが、抑制規範が合意されているので、ストレートに喜びを表現することを抑えてしまうのである。そしてうまくいったのにもかかわらず、彼は舞台で、恥ずかしさから照れてしまうのである。
 もし感情抑制規範合意がなされていない地域では、ある人がパホーマンスで成功すれば、舞台で思い切り嬉しさを表現するであろう。また失敗すれば悲しさ、残念さを体をつかって表現するであろう。失敗した場合、彼はうまくいかなかったことに対して自責の念にかられる。しかしその自責の念を感じたままを表現することになるのである。この場合恥ずかしいとは感じないのである。
 恥ずかしさとは、内的要因としては自責の感情である。外的要因としては、地域に形成された感情抑制規範である。
 人が失敗したりすることは不可避なことである。そうすると、恥ずかしさの発生要素としては、後者の地域の感情抑制規範のみに左右されることになる。ただ発生頻度としては、自責の感情と感情抑制規範が一致したときが生じやすい
「新・二元論 時事特別章  小泉総理の歴史認識」  
小泉純一郎。現在の内閣総理大臣である。今彼は中国、韓国の第二次世界大戦の歴史認識で渦中の人である。中国、韓国の言い分はこうだ。第二次世界大戦、あるいはそれ以前の戦争で大変な物的、人的、精神的に被害をこうむった。戦争終結で条約が結ばれ、日本の戦争責任はそこで終了した。しかし小泉総理が、戦争責任の張本人らが奉られている靖国神社に総理の肩書きを持って参るのは耐え難い。止めてくれ。そう言っているのだ。

普通に考えれば、中国、韓国の気持ちが痛いほど分かる。彼らの主張は当然だ。との結論になると思いきや、ならないのだ。

小泉総理は自らの主張を通したいわけだ。自分の信条でお参りに行くのだから、傍からごちゃごちゃ言わないで欲しい、と主張する。

私は、小泉総理は自分の信条を貫くと予想する。理由は、総理は中国、韓国の国民の気持ちが理解できていないからだ。だから彼には参拝を止める理由が無いのだ。理由が無いのに参拝を止めれば、アジア諸国を納得させても自分が納得しないからだ。

彼の心情の背景(内部要因)は国粋的心情である。国粋的と表現したのは、理論武装で固めたガチガチの国粋主義者ではないと思われるからだ。

アジア諸国民の心配に配慮して、6月3日の衆議院特別委員会でこう答えた。「私は靖国神社へお参りするのは、神道を奨励するためでは決して無い」と。

こう考えると、総理が参拝にこだわるのは、反対者の心情が理解できないという理由からだ。

例えば「郵政民営化法案」通過にこだわる内部要因は国粋的心情だ。外部要因は、行政改革、財政改革、旧全逓労組解体などの目的意識だ。

では歴史認識の外部要因は何であろう? 彼の支持母体である遺族会への配慮が考えられる。

彼は、例えれば織田信長である。束縛の少ない自由奔放せいが彼の取り得だ。実際郵政民営化を進める彼の姿は、桶狭間の合戦に向かう織田信長を連想させる。他の自民党の大物達は、郵政族への配慮から郵政民営化の発想すらなかったであろう。

彼のプライバシーに触れないわけにはいかない。一応総理という公人だからプライバシーに触れる失礼をお許し願うとする。

彼には3人の子供がいる。上の2人は離婚に当たって小泉純一郎氏が引き取った。問題は3人目の子供だ。3人目は妊娠中に離婚騒動が起こった。そして3人目の子供は母が育てることとなった。

総理は3人目の子供を無いものと捉えた。大きくなって小泉純一郎氏に会いたいとの願いを振り切り、一度も会っていない。

離縁した前妻の引き取った子供に会う会わないの総理の判断は全く自由だ。個人の問題だ。傍からとやかく言われることではない。ましてや私ごときであればなお更だ。しかし子供の気持ちを尊重するかしないかは、子供からの願いの問題だ。

私はここに歴史認識との共通点を感じる。要するに相手の気持ちをどれだけ汲むかの問題だ。私の結論は明快だ。親は子供の意思を尊重し、総理は外交的見地から、諸外国の気持ちを尊重するべきである。

私は念のため周りの人に歴史認識について質問した。驚いたことに高齢者の方の歴史認識は小泉総理と変わらなかった。若年、壮年の意見は半々だった。トータルでは半数以上が総理の歴史認識を支持していた。

しかし私は自分の経験から自信をもって述べることができる。子供の心情を理解しない者、被害国の心情を理解しないもの、弱者の心情を理解しない者は、いつか心の問題を引き起こすであろうと
人は人生において何度も感動する。映画・芝居を観て、音楽、絵画、スポーツ、人との関係で感動する。感動は人生を豊かにし一層意義あるものにする。
 では感動はどんなときにするのだろうか。まず外部要因から考察してみよう。芸術作品を見たり聞いたりしたときは、感覚器官に入る「美意識」が要素となる。スポーツなどでは「努力する姿」が要素となる。また苦難の末恋愛が成就する姿を見て感動する場合は、「ハッピーな姿」を見たり、体験することが要因をなる。
 では内部要因は何だろう。人生という大きな問題の内部要因となるものとは一体何であろうか。それは「人の進化に合致するもの」となる。
 言うまでもなく、人間を含めた全ての生物の生存目的は子孫繁栄にある。生物にとって子孫繁栄は絶対命題でもある。衣食住を含めた全ての人の欲望は、唯一つ「子孫繁栄」のために存在するといえる。
 この子孫繁栄の一連の働きの、部分部分においては「進化論の原則」が作用している。部分部分とは人の日常の意識そのものである。具体的には、より強くたくましく、より早く、より美しく、より賢く、より優しく、より美味しく、より…、の意識である。
「人の進化に合致する意識」という内部要因と前述の外部要因が複合されたとき、人は感動するといえる。
ではこういった疑問の声にどうこたえるのだろうか。
 ある宗教家が、彼の人生で宗教活動をする中で、何度も感動することに対する疑問だ。
 宗教は言うまでもなく、進化とは対極の絶対の世界に存在する。彼の意識は進化論を否定する宗教論に支配されている。内部要因に「進化的意識」がないのだから、感動は起こらないのでは、との疑問にはこう答える。
 まず人間の進化論意識は、後天的に学習して得たものではない。その原点は人の体内で行われている細胞の減数分裂に代表される、遺伝子レベルでの生物作用に支配されている。減数分裂とは精子・卵子を造るときにのみ起こる分裂形態である。簡単に説明すると精子・卵子をつくるとき、人の体内において、母方の遺伝子と父方の遺伝子をつぎはぎして1つの遺伝子に造りあげる作業だ。つぎはぎは進化の大切な要素になる。
 だから結論としては、たとえ宗教家であろうが誰であろうが、減数分裂をする機能を持つ限り、基本的意識は「進化論的意識」である。勿論、宗教家は宗教論を勉強され、実践され、他の方に影響を与えておられるであろう。しかしそのことと人の基本機能とは別の問題であると言える。
 夢は大きく分けて3種類ある。

1。感覚器の刺激に誘引されるもの
2。心理的刺激に誘引されるもの
3。潜在意識に誘引されるもの。

 この3つだ。
 まず感覚器の刺激に誘引され見る夢。代表例が空を飛ぶ夢が上げられよう。外部要因は体への接触感覚。内部要因は、空を飛ぶことの、希望、経験などが該当する。
 まず何故空を飛ぶ夢を見るのかの説明から始めよう。夢はもともと浅い眠りにあるときに見る。時間帯でいえば朝方の、目の覚める少し前の頃だ。
 浅い眠りにあるとき、身体の五感は、あるものは半睡眠状態にあり、ある感覚は睡眠状態にある。
 空を飛ぶ夢を見る場合は、皮膚感覚が眠りにある状態で、意識感覚が半睡眠状態にある場合に見る。背中の感覚が睡眠のためになく、意識が半睡眠状態にある場合だ。本来、背中はベッドと接触する感覚を感じるが、しかし背中の感覚が睡眠状態だから接触感がないのだ。しかし意識は僅かにあるから、自分の体が宙に浮いているように感じる。それが外部要因となる。
 内部要因としては空を飛びたい、または飛行機で空を飛んだ経験、子供の頃、高い高いをしてもらった経験等がなり得る。外部要因と内部要因とが重なって空を飛ぶ夢となる。
 歯の抜ける夢も同様だ。
この場合は、歯の付け根辺りの感覚が眠っていて、歯を動かそうとする意識が半覚醒している場合に見やすい。
 意識では歯を動かそうとするのだが歯が合わさった感覚がないから歯が抜けて無くなったように感じる。内部要因は様々。
 幼い頃よく見た夢におしっこの夢がある。寝ているとき、おしっこがしたくなったのであろう。しかし起きてといれに行かず、夢の中でトイレへ行ってオシッコをしているのだ。しかし気が付いたら布団が濡れていた、という分かり易い夢だ。外部要素は膀胱の張る刺激。内部要因はおしっこに行きたい意識。

 次に心理的刺激に誘引され見る夢。
 私が小学生の頃にみた夢。私に同じクラスの中に好きな女の子がいた。でも恥ずかしくて、話しかけられなかった。それで夢を見た。夢の中で、私は彼女の家のほうに歩いているのだった。やがて彼女の家の前に来た。そのとき運良く、彼女が家から出てくるではないか。私は嬉しさで、飛び上がらんばかりであった。そう思ったとき夢は消えてしまっていたが。
 この場合、内部要因は彼女に会いたいの一心さだ。外部要因は、寝苦しかった気温とか、寝ている体形が悪かったかだが、この場合外部要因は大きな意味を持たない。
 3つめの潜在意識に誘引される夢の説明は複雑だ。この種の夢の場合も内部要因の要素が大きく、外部要因は、大きな意味を持たない。
 潜在意識に誘引される夢の判断は、二元論の域をこえ精神分析の領域になるので、ここでは触れない。
 夢の中で、夢を見るとか、自分の意思で夢の進行が決められる夢とか、様々である。