先日、数年前に 離婚した 友人と 久しぶりに会った。


離婚を経験された 多くの方々がそうであるように、彼女も 離婚当時は 相当 心を やられていたダウンという。


我々の 年代の 特徴なのか、 年代は 関係ないのか 定かではないが、それが、夫婦関係であれ、 不倫関係であれ、 パートナーとの事が原因で、 心のバランスを 崩してしまった 事の ある 友人は 30を越えてきたあたりから かなり 普通に 出没してきた。


そして、概ね 心療内科なり、神経科なりの お世話になっている。

自分だけが・・・

と 引け目に感じる必要が ないほど、 普通に いる


精神的な強さには 絶対的な自信を持っていた 私 でさえ、 危うかった時期が あるのだから、皆 同じように 苦しんで いたのだなぁ。 と しみじみと 感じたものだ。


それは、我々の心が 年を重ねる毎に 弱くなっていったのか、 それだけ 大きな影響力を 与えられる 人物と 出会ってしまったからなのかは わからないが、 他人と 同じ空間 同じ時間を 共有する ということの 与える 影響なのかもしれない。


さて、その友人は 子供はいなかった。

結婚当初から 離婚したかったらしいので、作らずにいただけであろう。

離婚原因も 子供 は関係していない様子だった。


ところが、離婚当時 何が辛かったって、

世間 子供の姿を見る事 耐えられなかった と 言っていた。

妊婦さんですら、 目に入るのも 嫌だった。と。

他人の子が そこに いるのすら 辛かった。と。


それを 聞いた時、 なんとも言えぬ せつなさが こみ上げた。


私も 妊婦さんや 赤ちゃん連れのご夫婦を見るのが 辛かった時期がある。

これまで、なんとも思わなかったものが、意識し始めると やたら 目につくものだ。

少子化 と言われている 現代で こんなにも 赤ちゃんや お子さんが 街中にあふれているとは。


今も、 妊婦さんを見かけると あーいいなぁー。  

と羨ましく思うし、

公共の場で 子供に やりたい放題させている 家族や、

大人仕様の レストランで 子供が騒ぐのを 放置している親 などを見かけると、 不愉快な気持ちになるし、

ベビーカーを 何台も 道いっぱい占領し 横並びで歩いている ママさんたちを見かけ 呆れたりもする。


正直、自分が 親 となれば 大目に 見れるようになる 

かもしれないようなことも、必要以上に目について 必要以上に不快に感じる部分は あると思う。


しかし、 彼女の その気持ち は、 私の こ気持ちとは 似て非なるもの。 


年齢的 身体的不安 なら、 同年代である以上 子供をもつ という事では 彼女も私も 同じなのである。


しかし、少なくとも 私には 毎日を 楽しく 面白く 気兼ねなく 暮らせ、それも 子作りにも 大変 協力的でいて、 日々の私の 八つ当たりをも 受け止め(←流しているともいうが)、励ましてくれる、アリス という ありがたい パートナーが いる。


人の気持ちに 先の 保障は ない、 ことも 重々 承知 しては いるし、 もしかしたら、 一度は  解決した かもしれない レス の事が また 後あと 投石と なるのかもしれないが、(←あくまでも、レスが ”解消 ” したわけでは ない ので。)
少なくとも、今は 現実に 子作りチャレンジができている。

日常も 普通に健康で 普通に文化的な 暮らしが出来ている。

そんな事自体 奇跡的なのかもしれない。


その友人も、他の 多くの友人たちも もし、最初から 一人だったら、 そこまで 苦しまなかったのかもしれない。

私が かつて 揺るぎない精神を 自負していたのも、いつでも 一人で立てる 状態を 維持していたからだ。


一度 二人でいる 心地よさを 知ってしまうと、 失った時の 痛手は 大きい。

一度 他人と いろいろな事を 共有してしまうと、とりまく 全ての しがらみを 振りほどくには 想像を絶するほどの パワーを 要する。 そのダメージは 並大抵なものでは ない。


街で お母さんが 幸せそうに 赤ちゃんを あやしていたり、 子供連れの家族の 当たり前の 光景を見て、 せつない 気持ちに なったことが あるのは、 私のように 夫婦で子供を切望している 人たちだけでは なかったんだ・・・

という 事実に ことさら せつない 気持ちに なってしまいました。


確かに・・・そういえば・・・忘れていた気持ちではあったけれど、アリスと ”瀬戸際” だったころが、 赤ちゃんや妊婦さんを見るのが 最も 辛かった時期だったかも。

そういうことなのかな・・。


相田みつおさんの” 幸せは 自分のこころがきめる ” という書は 私の お気に入りの ひとつ。


私は今、 子供を切望していて、 ままならない 状況では あるけれど、 先ほども ふれたように アリスと 二人 普通に 健康に 普通に 文化的に 過ごせている そんな 当たり前で 奇跡的なことに 幸せを 感じても いるのです。


なによりも、 食べ物を 美味しく 頂けて 健康で いられることに 日々 感謝です。