ご存知の方もいらっしゃいますが、3月27日 父、77才が他界しました。
1月中旬に転倒して脳挫傷になり、亡くなる1週間前に誤嚥性肺炎になってしまいました。今日が初七日です。

75才までは長男とプールでバタフライしたり、クロールしたりしてたのですが…

左半身麻痺から始まり、段々と首しか動かなくなった父をこれからどうしてあげたら良いか前向きに考えてた矢先の事でした。

私は一人っ子で小さい頃、身体が弱くてよく熱を出してました。そんな私が少しでも元気になれるようにいつもお土産を買ってきてくれました。
母に怒られても慰めて必ず見方してくれた。そんな父が帰って来るのを心待ちにした日もありました。
6才から二人で何度もデートしたジャズカフェ楽しかった…お気に入りのスヌーピーを抱っこした私を何度抱きしめてくれたかな…

今、旦那様がもうすぐ3才になる娘を可愛がるのを見てこんな風だったのかな…と、思います。

反抗期でどうしようもない時もありました。10代で家を出てしまいました。かなり寂しい思いをさせたと思います。

「お父さんは、孫よりもやっぱり貴女が一番可愛い」って言ってた。と母が言います。知ってた…だって私が3回手術した時の顔がそうだったし、自宅に遊びに来ても家事をする私をいつもの椅子に座りじーっと見てた。

お医者さんから覚悟しなくてはいけません。と言われてから数日間、これしかもう出来ないと思い子供達全員を連れて早朝にお見舞い行ってから保育所や塾や児童館へ。夕方も全員連れてお見舞いに行きました。何度も何度も頭と浮腫んだ手を撫でて最後「私は十分幸せだし、何も心配する事ないよ。」と私が言うと泣いてました。

ささやかなお通夜は好きだったジャズを持ち込みして流し、珈琲のお線香を…微笑んでいるように見えました。

棺には私と子供達からの手紙と、思い出写真をデコレーションして。沢山のお花に珈琲…手紙なんて何十年振りだったかな?昔のように「パパへ。」って書いたのでビックリしたかな…

そして30日、無事に火葬が終わりました。最後の扉が閉まる時、嫌で嫌で過呼吸になってしまいました。

私の会社の社長と奥様も、火葬場に来てくれて、ずっと一緒に居てくれました。

骨壺に入って小さくなった父を思い切り抱きしめて「本当に良く病院のベッドの上で頑張ったね。私に迷惑をかけたくないと言って本当に迷惑かけなかった…やっとお家に帰れるよ。」と話かけました。

旦那様は色々調べてくれたり、父が危篤になったあたりから、夜になると毎晩泣く私が寝付くまで付き合ってくれました。子供達も沢山泣きました。

「またいつか きっと会える。」

これから、風景画を油絵で描く父が一番好きな春…桜が沢山咲きます。心配させないように日々大切に生きて行きたいと思います。

この時期に出席しなくてはいけないイベントがありましたが、本当に沢山の皆さんのお気遣いで私は父の最期に寄り添うことが出来ました。

沢山の方々に優しいお声やメールを頂きました。

義父からは「貴女はお嫁さんだけど、私の娘だから困った事があったら何でも言うんだよ。」と言って下さいました。

父のお陰で皆様の愛を沢山感じる事も出来ました。

「有り難うございます。感謝いたします。」

もう少ししたら またいつもの私が姿を出しますので、どうぞ宜しくお願いします。

長文でごめんなさい。最後までお読み頂きまして有り難うございます。

今度は私が皆様の為に… ( *˘╰╯˘*)♥