「あなたの感じ方はあなただけのもので誰にも責める権利はない」

私がめちゃくちゃ刺さった、
マンガ「違国日記」のセリフです。

まだ読んでないのですが、今実写映画となって上映されていて、観に行きたいなと思っています。

このセリフが今日刺さりまくったのは、
こんなことがあったからなんです。

私は、友人にしか見れない設定にしたSNSにその時の気持ちをアップしています。
そこに、先日こんなふうなことを書いたのです。

「夫の愚痴や、世の中に対する批判的な言葉やネガティブな発言を聞くのがしんどいから嫌だ。
私はネガティブな情報を受け取り過ぎると心が疲れるから、なるべく心穏やかに過ごしたいと思っているので、テレビのネガティブな情報は極力避けている」

すると、ある友人から

「相手を変えようとしてもなかなか難しいと思う。 本人が変わりたいと思ってないのを変えられない」

「『穏やかに過ごしたい』もその人によって違う」

「家族も言い合ったりぶつかったり、泣いたり笑ったりしないとお互いの本心はわからないし、お互いの成長のためにも必要なことだと思うので 穏やかに過ごすことだけでは生活できないと思います」

というコメントがきました。
(本当はもっと長文でいろいろ書いてあった)

友人の言葉が間違ってるとは思いません。
その通りでしょう。
でも
今の私にはその言葉ではないかなって。

今までの私の人生、いろんなことがあっての感情なのであって、それは他人には分からないのではないかな?と思うのです。

それに穏やかに過ごしたいと思うことはダメなことなのかなぁ…😢

私はネガティブな発言を聞くのがつらいだけで、意見をぶつけあったりしたくないなんて言ってないのになぁ…と思ったり。

一生懸命、友人に丁寧に書いて返信しましたが、友人には友人の正義があり、なかなか上手く伝わらなくて。

そのうち、私も自分が思ったことを全部否定されてるように思えて、友人の言葉すべてが辛くなってしまいました。

そんな気持ちでいた時、この言葉を見たのです。

「あなたの感じ方はあなただけのもので誰にも責める権利はない」

そう、そうなの。

まぁ、友人は責めてるのではなくアドバイスのつもりだろうけど。

でも、私はアドバイスして欲しかったわけじゃなく、ただ「そうなんだね」って聞いて欲しかっただけなんですよね。

私の感情は私にしか分からないのだから、「私はこうしてるからこうした方がいい」っていうのは違うんじゃないかなって思ったのでした。