アマンダ美帆です。
中年期を迎える方々のセクシャリティに関するご質問をいただくことがあります。多くは女性たちからです。
結婚や出産を経て、子育てを終えてからのお悩みもあるし、子どもを授からなかった故のお悩みもあります。
女は、子どもを産んで育てて終わり、ではない。
子どもを産む、産まないも関係ない。
そしてまた、女性器の有無さえ関係ない。
ただただ、その瞬間から開く花なのよね。
この時期に静かに開く、蓮のような感じかな。
そう、とてもいい香りを放つ女性という存在を
自分で知るプロセスへと入ってゆく。
その悩みがいま、あなた自身に表出してくるのには、
大切な意味があります。
多くは、その方が本質的な愛と出会ってゆくプロセスにあることを示してるからね♡
それはね、心身を通じて、愛とは何か?という「問い」を全身で受け取るための入り口にある、ということなんだと思うのよ。
思う、というよりも・・・
私の場合はこの手のひらに知覚としてやってくる感じなのよね。
愛というのはよくある「恋愛」に関する一般的な理解からは離れたところにあるものなのですが、その本質を体験として理解することはほとんどできないものなんです。 束縛する、というものではないし我慢する、というものでもない。
それを示す際に、制限もない(本来は、ないもの)
愛は自由で、解放的で
互いを認め合うものであり、慈悲や慈愛に満ちていて
尊重するものです。
言葉にすると、そうだよ。知ってるわって感じでしょう。
でもね、それを実生活で実践することってそう簡単なことではないものでね。
そして、友達同士で話し合える内容じゃないし、扱ったとしても、答えを知ることはないのよ。
それは、頭で理解するというものではなくて
とても繊細で、大切なものだから
じっくり自分自身で向き合う必要があるものなのよ。
互いに惹かれ合うもの同士が結婚生活や同居生活を送る上で、愛に目覚めることは一瞬、あるかも知れないけれどそもそもの愛の定義を間違えて捉えてたりもするので、すれ違ったりするものでもあって。
また、男女間ではそもそもの考え方に違いがあることも多々。。。
子どもへの愛は無償か?というと、そこには親としての期待があって、条件なども反映されていることが多いもの。
子どもの才能を、主に親が潰してしまうことが多いのは愛以外のもので、子どもを雁字搦めにしてしまうためでしょうね。
子どもを迎える際に、人として愛に満ちてるつもりでも、本質的に本当にそうか?と改めて考えてみると、そうでもなかったりする。
子育ての過程には、それを自覚せざるを得ない問題が突きつけられることも多々。。。
私たちは「愛」というものを知識の面でも、実践的な場面でも、本当に学ぶことは多くはありません。知らないままで、または偏った自己理解によって理解しているつもり、なんですよね。
私的な視点から申し上げますと、30代に入ってからは自分自身のセクシャリティに関する問題や興味に引っ張られるような感覚があって、探求しているように思います。
子どもを育てつつ、自分自身にフィットするパートナーを見つけようと、メスのセンサーが鋭くなったりもするものでね(爆)
自分に正直になってみると、20代とかにはあり得なかった男性に惹かれてみたりして(笑)自分で驚くこともあったのよ。
それが、今の私を支え続けるパートナーさんなんですけれども。
自分自身のセクシャリティとの出会いを、そのまままっすぐ見つめる時間も、十分にとっていけるとまた新しい扉が開いて、自分自身との関わり方が変化し、近しい大切な人たちとの関係性に柔らかな変容も生まれます。
セクシャリティを自分自身のものとして自覚することで。私たちは「存在によって生かされてきた」ということを体験するんですね。
ですので、セクシャリティの充足により、女性としての開花も起こりますし、その充足に伴って子育てをはじめとする「育成」したいものがさらなる成長を遂げるようになる。
育成するものって、ペットや子どもだけじゃなくて会社だったりもするし、自分自身のプロデュースだったりもします。
セクシャリティって、第一チャクラを示すでしょう。そこはあらゆる生命力を育む可能性を秘めてる場所なんですね。ここが充足して、潤って、血流量に富んでゆくようになると、十分なグランディングに繋がって、自分自身を表現することにも繋がってゆくのです。
セクシャリティと向き合うってことを「オナザリ」にしないというのも、女性としての人生をより充足するためには大切なことです。
セクシャリティについての個別相談にも応じてます。
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